随筆〜その3

Vol.41 極限状態(パート4)

 我々もまた日々ストレスに苦悩している。強制収容所のような極限状態とは程遠いとしても。そしてストレスにさらされて押し潰されるか否かの瀬戸際に立たされることもある。従って将来に目的よりむしろ目の前のことが先決問題である。それを解決しなければストレスに押し潰されてしまうのだから。
 ストレスで多いのが人間関係だ。それは現在の人間関係であるのだが、現在を考えているうちに我々の思いは次第に過去の重要な人物との関係へと及んでいく。やはり未来のことではなく過去に向かってしまう。
 それは一体なぜなのか?やはり分析が言うように現在の人間関係には過去の重要人物との関係が転じて再現されているからだろう。我々は無意識のうちに現在の人間関係に過去の重要人物像を重ねている。だからこそ我々の感情が動きストレスを感じるのだ。
 そこで我々には現在の問題と過去の問題を同時に考える必要性が出てくる。過去の人物像が現在に人間関係にどう現れているのか?そこで自分がどう感じているのか?どういう関係であったらいいのか?そんなことを現在の人間関係の中で考えていくことも大事だ。それが現在の目標であり我々に求められる宿題でもある。その目標が実現されたあとに未来の目標も定まってくるのだろうと思う。

Vol.42 頑張り

 テレビ番組に『探偵ナイトスクープ』というのがある。視聴者からの依頼を受けて探偵が調査する番組だ。時々感動的なものがある。最近では鎧兜を身に付けて山城に登るお父さんの姿があった。その人は会社が倒産して失職。年齢的なこともあって再就職先がなかなか見つからなくて趣味の山城巡りが生き甲斐のようになっていた。そのお父さんが「戦国時代の武士のように自分も甲冑を付けて山城を巡りたい」と言い出した。「その願いを叶えてあげたい」のと「どうして山城巡りなのか」を知りたいという娘さんからの投稿依頼だ。 そして番組側が用意した重さ約20キロもある鎧兜を身に付けて、お父さんと足軽姿の探偵は山城の頂上を目指す。夜の山道を登り始めて数十分。途中で根をあげることもなくお父さんたちは頂上に達した。重い鎧兜を身に付けて山城登りを果たしお父さんが遠く夜景を見下ろすその姿には何か感慨深さがただよう。 そこに思いがけず家族が現れた。番組スタッフが設定したものだったのだが、ビックリしたお父さんは家族を前に語り始めた。「山城を巡りながらこれからまたどうやって頑張って行くかを考えていた」というようなことを。それに対しワイフが「子供も一人前になったのだから子供に頼ったらどうですか」と答えられた。 楽天的だったお父さんも次の仕事はなかなか見つからなくてプレッシャーを感じ始めていたに違いない。だから山城巡りをすることによって昔の武士のようにしっかりした気持ちを維持しようとしているようだった。そしてまだ何かをやれる気力も体力もあるという自分を確認したかったのだろう。そんなとき思いがけずワイフに「もう休んでもいんですよ」という言葉を掛けられた。それはお父さんにとって思いがけない言葉のようだった。お父さんは絶句。家族も涙。番組スタッフも涙。 この後このお父さんがどうなったかは分からない。私の推測ではあるがおそらくこのお父さんもまた自らの力で新たな道を歩み始めたのだろう。というのも「頑張れ、頑張れ」と励ますだけではこれまで頑張って来たお父さんの心には響かない。このお父さんのワイフのように「辞めてもいいんですよ。休んでいいんですよ」という言葉が逆に本人を勇気づけただろうと思う。

Vol.43 アンチエイジング

 先日のNHKのテレビ番組『プロフェッショナル』のテーマは脳のアンチエイジングについてだった。脳の老化を防ぐには大脳の前頭前野を活性化することである。前頭前野は外から入ってきた情報をまとめて判断して命令を下すところで、その活性化を図る方法は次の通り。
 一つ目は新しいことにチャレンジすること。今やっていることより少しだけ難しいことをやる。そのあと徐々にハードルを上げていくようにする。
 二つ目はよくおしゃべりをすること。しかもはずんだ会話をするようにする。そして特に目と目を合わせて話すともっと効果がある。
 三つ目は外見を気にすること。服装に気をつければ気持ちが前向きになる。
 四つ目は「好き」とか「楽しい」という気持ちを大事にする。例えば好きなことを勉強するとか楽しく仕事をする。また趣味を楽しむのもよい。
 以上のようなことが脳の活性化につながるということだった。そして一人の建築家が紹介されていた。68才の今もなお常に新しいアイデアで仕事を続けられ、その合間にはカジュアルな服装で若い人たちと食事に出掛けてよくおしゃべりをする。その姿には若々しさがただよう。
 我々に身近で手軽にできるものとして私が思いつくのが趣味のカラオケを楽しむことだ。カラオケなら上の四つの条件に合う。初めは歌いやすい歌から始めだんだん難しいものにチャレンジしていくものだし、たいがい複数で歌うので自然とおしゃべりをすることになる。しかしカラオケは一般に広く普及しているので多くの人たちが自然に脳の活性化を図っている訳だ。

Vol.44 趣味

 趣味と言えば多くの人たちにとって身近かで一般的なものがカラオケだ。私自身もカラオケ大好き人間であり時々気分転換のためにカラオケに出掛けることがある。 先日は久しぶりに鹿児島の知り合いを訪ねたのを機会に繁華街“天文館”に出掛けた。以前と比べて繁華街は様変わりしており私が昔から知っている店はなくなっていたので新しい店を探し廻ることとなった。そして電光掲示板を頼りにようやく一軒の店にたどり着いた。初めて入る店ではあったが和服姿の若いママさんに「いらっしゃいませ」と笑顔で快く迎えられて我々もすぐに気持ちが和らいだ。 そしてさっそくカラオケタイムに入るのだが、我々の歌う曲と言えば年相応のムード歌謡や演歌となることが多い。かなり昔の曲になるが例えば石原裕次郎『赤いハンカチ』、竜達也『奥飛騨慕情』、北島三郎『風雪流れ旅』等々。また今回入った店の名前が“ニュー王将”だったこともあり村田英雄の『王将』も飛び出した。しかし店のママさんは若すぎて『王将』という曲があることを知らないようだった。 これらの歌はどんな内容を歌ったものか?『風雪流れ旅』は盲目の津軽三味線奏者の苦難の人生を歌ったものであり、『王将』は吹けば飛ぶような将棋の駒に人生を掛けた浪速男の物語を歌っている。それらの歌のイメージは苦労を重ねながら自分らしさを貫こうとする男の姿を描いていると言っていいだろうか。 ところでカラオケでは多くの人たちが自分の気持ちを歌によって表現しようとしているものだが我々もまた自分の姿を重ねながら歌っているのだろう。特に今回のカラオケの選曲に我々の気持ちが込められていたのだろうか。ずいぶんと青臭く手前味噌な感じになるけれども我々はこの年になってもまだまだ自分らしく生きたいという気持ちを持ち続けているのだろう。そんなことを今回のカラオケの場で再確認できた気がする。

Vol.45 話す仕事

 好きな仕事をしたり楽しく仕事をすることが脳の活性化につながると言う。それに多くの人たちとのおしゃべりが加わればその活性化の効果はさらに増大すると言う。おしゃべりをして好きな仕事になるという仕事とはどんなものだろうか?一体どこでそんな仕事ぶりを私は見たことがあるだろうか?そういうことを考えてみて特に私の頭に浮かんでくるのは喫茶店“ココはココ”の様子である。
 一般的に喫茶店と言えば街のオアシスと言った場所であり、ちょっと立ち寄ってコーヒーを飲みながらゆったりすれば何かホッとできるところだ。また店のマスターやママさんとの会話が加わればさらに心がなごむものだ。
 一方“ココはココ”についてさらに言えることは人々が悩んだり仕事に疲れたりしたときに立ち寄る場所でもあったということだ。そしてマスターとの間で何気ない会話、生き方を語るような会話、本音をぶつけ合うような会話などによって客たちは心の隙間を埋めていたのだろうと思う。
 考えてみればそういう場所というのは我々の身の回りにはなかなかない。敢えて言えば心身症や精神科系の現場がそんな役割を果たしている場所になるだろうか。もともとそこは病気を抱えた人たちが訪れる場所ではあるが、ただ症状を取り除くだけでは片手落ちであり、やはり病気のウラに潜んでいる何かを一緒に考えていく場所であってこそ大きな意味がある。
 そういうふうに“抱える”役割を喫茶店が果たしていたことは驚くべきことだが、不思議なことに私自身が医療の現場でマスターと同じように相手と一緒に考えようとしている。そういうことからすると喫茶店“ココはココ”の様子が当“のぞみメンタルクリニック”の原型になったのではないかと思ったりする。

Vol.46 掛け声

 上の桜島の写真は日豊線の列車内から撮ったもの。久しぶりに桜島の雄大な景色を見ると確かにこちらの心がゆったりしてくる気がしてくる。ところで鹿児島には『チェスト行けーッ!』という掛け声がある。私が鹿児島大の弓道部に入ったときに初めて聞いた言葉だ。対外試合のときにこの掛け声で臨んだ。これは他のスポーツのときにも気合いを入れるために使われる掛け声で「ソレーッ!」とか「オーッ!」というような意味のようだった。
 それには言い伝えとなっている逸話が存在する。有名な関ヶ原の戦いで西軍の敗色濃厚となったとき島津軍が約千5百の手勢で約10万の敵の本陣を突破したときの掛け声が『チェスト行けーッ!』だ。敵に背を向けて退却することを潔しとせず敵中突破を図った。
 この逸話は“妙円寺詣り”という行事となっている。多くの市民が鹿児島市から島津家の菩提寺である妙円寺まで約42kmを歩いて往復する。この行事は江戸時代から続いていて苦難の歴史を偲ぶものであるが、それと同時に「困難な状況にも立ち向かう」という伝統的な精神の現れのように思える。
 ところで私が鹿児島から宮崎に住所を移したとき御世話になった不動産屋さんの話が印象的だった。その方によると「何か難しい仕事が起こったときに誰かやる人がいないか聞くと手を挙げるのは鹿児島出身の人である」と言うことだった。これも『チェスト行けーッ!』の精神である。
 この話からすれば“薩摩”の人は難しいことを買ってでもやろうとするが“日向”の人はそうではないということになるだろうか。私自身は宮崎出身であり鹿児島にも長く住んだ体験からすると確かにそのことは当たっているような気がする。従ってこの『チェスト行けーッ!』の精神は我々が是非学び体得したいことの一つだろうと思う。

Vol.47 閉塞からの脱出

 我々は現実問題として八方塞がり状況に陥ることがあるが、そういう何らかの閉塞状態からどう脱出したらいいだろうか?その一つの姿を小説『希望の国のエクソダス』(2002年、村上龍)の中に見せてもらうことができる。 時代は1990年から2000年にかけての約10年間。日本経済は大きく行き詰まり失業者は増えて犯罪率や自殺率のアップにつながった。将来に対する希望が失われて世の中には閉塞感がただよう(失われた10年)。この小説はそんな状況から中学生が脱出(エクソダス)を図ろうとするファンタジーの物語だ。 端的に言えばこのストーリーは中学生(子供)たちの大人に対する反抗だ。大人たちは「勉強して良い学校に行きなさい」と言うけれど、大企業も潰れるくらい不況な世の中を見ていたら良い学校に行くための勉強をしたって将来に良いことがあるとは思えない。しかしだからと言ってどう生きて行ったらいいのかが分からない。そんなことを誰も教えてくれないしモデルになる大人もいないのだから。 じゃー自分たちでやってやろうということになる。『自分たちに何ができるか?』や『どう実現していくか?』を考えて実際に行動を起こすしかない。そして中学生たちは自らの力で事業を起こしネット界に新ビジネスを展開していく。しかもそれは創造的かつ大胆なものだが、それくらいのことをしなければこの出口のない閉塞状況を打破するのは難しい。 1990年代のいわゆる“失われた10年”の間に何ら得るもののなかったのが現実だ。そんなときこのファンタジーの中での中学生たちの取り組みが象徴している創造的な仕事が求められたのではないか。そのことはまさに手本となるべき大人の姿をこの中学生が身をもって実践したことを意味する。 すなわち閉塞的な状況が何であるにしてもそこから脱出するためには既得権益を守ろうと保守的になるべきではない。多少冒険的ではあっても創造的な取り組みにチャレンジすることが必要となる。この小説の訴えようとしている一つが以上のことであったように思えた。

Vol.48 チャレンジ

 小説『希望の国のエクソダス』の中学生たちは「勉強して良い学校に入る」という大人の敷いたレールに乗ることはなかった。彼らは自らが事業を起こすことよって閉塞状態から脱出した。すなわち彼らは自らが主体的に生きることを選択した。
 しかし現実的には新たなチャレンジには大きなリスクを伴う。失敗すれば自己責任ということになる。そうであれば精神的にも金銭的にもダメージを受ける可能性がある。ただ間違いなく言えることはたとえ上手くいかなかったとしても自らの力で閉塞状態からの脱出にチャレンジしたという“実績”が残るということだ。
 私自身のプライベートなことについて話させてもらうと私も何度か閉塞状態からの脱出を試みたことがある。最初のチャレンジは職業を変えるための脱出。そのままそこに居ても将来に明るい光は見えてこない。見えてくるのは不満たらたらの自分自身の姿だ。結局そこを辞めて昔からのドクターの夢を追うことにした。
 2番目のチャレンジは私がドクターになってから所属した治療現場からの脱出。その現場には様々の人々の様々な情動が飛び交っていたがその解釈がされず混沌状態に陥っていた。もちろん私自身もどう動いていいかも分からない。結局私はその場を脱出した。そしておそらく混乱の糸をほぐしてくれるであろう分析に自分の望みを託した。
 今思えばその2つの脱出は自分がどう動いていいか分からなくて息苦しくなった結果だが、やはり人は主体的に動けないと自分の存在自体が危うくなるということだろう。しかしそれは個人的な問題であって実際にまわりの環境が閉塞状態にある訳ではないのかもしれない。従って閉塞感から脱出するにはその場所からの脱出を図って見る方法と、一方でその場に留まってそれまでの自分から脱皮する方法があるように思う。

Vol.49 自分らしく

 現代社会は複雑になって自己を見失いやすい時代になっている。こんな時代に必要とされるのは何か生きる指針となるものである。その中でもフランクルの考え方は今なおその意義は大きく、我々自身が“自分らしさ”を取り戻す道を示してくれる。 フランクルと言えば『夜と霧』の著者として有名な精神科医である。彼自身が強制収容所という過酷な状況を乗り越えた体験から、困難な状況を生き抜くためには『自己の使命』に気づくことが重要だということを体得した。そしてフランクルは自身の体験をもとに精神科治療を確立している。 すなわちフランクルの示唆するところは我々が『自己の使命』を見つけること目指し、『自分の人生から何を求められているか』に気づくことである。さらに各個人は自分の中に未だ埋もれている“良いところ”や“能力”に気づいていくことを求められる。それは自己を取り戻すことであり自己のアイデンティティを確立することだ。その結果“自分らしく”生きる道が開けてくる。 それが可能となるのは各個人と治療者側に共同作業ということになるが、さらに“人格”の部分が治療場面に現れることが重要である。その“人格”の部分というのはフランクルの考え方で特徴的なものだ。つまり誰の中にも精神的な核の部分にその個人の“人格”が存在していて、その部分が尊重されることによって自己の存在感を取り戻して行く。
 そして各個人はそれまで気づかなかった本人の内面を意識できるようになり『自分がどうしたいか』も考えられるようになる。そのようにして“自分らしく”生きることになった個人は様々なストレスに耐えながら、自己のイヤな感情を乗り越えていくことが可能となる。その結果自分が生きているという実感が湧いてくる。 我々にとって大事なことはこの複雑化した現代に対して『どういう考え』で対応し『どういう態度』で対峙して生きているかということだ。そんなことをフランクルの人間学が教えてくれている。

Vol.50 ファンタジーの世界

 私が心身症や精神科系の治療に関わっていて疑問に思えるのは『薬で症状が良くなるだけでは不十分ではないか』ということだ。というのも薬で症状が良くなるというのは外的世界の話であり、肝心の内的世界の問題がまだ手つかずに残っているからだ。 さてその問題の内的世界とは心の中の世界のことでファンタジーに満ちている。なぜ空想的かと言えば外の世界の出来事は各個人の感覚を通して変形されて内的世界の中におさめられるからだ。例えば我々にとってイヤな人物は心の中では“悪い人”に作り替えられているかもしれない。 さらにその内的世界には“良い自己”も“悪い自己”も存在していて、“悪い自己”と“悪い人”との壮絶なバトルが起こる。それが心の葛藤というものだ。その内的バトルが増えていけば内的世界はゴチャゴチャした病的状態になる。その病的状態の改善が治療目標となる。 その内的世界の中の“悪い人”とのバトルは外の世界の誰かとの間に転じて移されることがある。つまり転移というものだ。その結果人間関係のもめ事が起こってストレスの原因となる。その転移という現象はいつでもどこでも誰にでも起こり得るものだ。 例えば治療場面でも起こって過去の重要人物との葛藤が姿を変えて出現してくる。しかしそこが分析上治療的意味を持つ出来事だ。すなわち目の前の治療者との葛藤に本人が取り組むことは過去の問題に取り組むという意味がある。そしてその治療場面での取り組みは社会に出て人々と関わっていく基本となるだろう。 さらに求められることはその葛藤場面に存在する人々は“一個の人間”として認め合う関係であることだ。そうであってこそ本人の内的世界に“良い関係”が定着することになる。そういう意味では心身症や精神科系の取り組みはファンタジーの世界の話であり現実感に乏しいものであるかもしれない。しかしながらそれは確かに自己の再形成という現実的なことである。さらに言えば“病気が治る”というよりむしろ“自分を作り直す”という意味合いが強い。

Vol.51 トラウマ

 精神分析に対して「そのような決定論的な考え方では過去のトラウマに縛られて自由な生き方ができない」という異論もあるようだ。しかし私自身にはどうしても精神分析が決定論とは思えない。そう私が思う理由について考えてみたい。
 今一度フロイトの精神分析の理論に戻ってみると、それは父親と3才頃の子供との関係を論じている。つまりその頃の父親との葛藤が解決されずにトラウマになっているので神経症の原因になるというものだ。
 それは過去の人間関係が現在の人間関係を規定していると考えているのだが、だからと言ってその関係が未来までずっと続いていく訳ではない。すなわち分析的に考えれば過去のトラウマは現在の人間関係に再現されているのだから、その現在の問題に取り組むことによって過去の問題が解決されることを意味する。そして病気もよくなる。
 そうやって過去の囚われから解放された後に未来に目が向き始める。すなわち次の段階として「将来どう生きるか」とか「人生いかに生きるべきか」という思いが出現してくる。その結果、例えば自分がそれまで悩んで来たので同じように悩んでいる人たちのためになるような仕事をしたいと思うかもしれない。また意外とそのトラウマのもとになった人と同じような道を進む可能性もある。それは過去の問題点を振り返ることを実践したが故に得られる結果だ。
 以上のように考えると決して分析は過去のトラウマに囚われているだけの決定論ではない。なぜならそのトラウマを解決して新しい自分に生まれ変わろうというのだから。それは本人が将来に向かおうしていることを意味している。

Vol.52 話し合い

 昔から家族療法というものは存在していた。すなわち治療の現場で本人以外に家族を交えて話すというものだ。しかし最近の事情は少しずつ変わりつつあるように思う。それは本人とその職場の関係者とを交えて話をする機会が増えたということだ。そのことは病気が本人や家族の問題だけでなく、社会的環境と深く関わるようになったことを意味している。とりわけ本人にとって一番身近な職場の問題が大きく関わっている。 私自身これまで治療というのは本人を中心に考えてきたように思う。つまり本人に問題があるから病気になるという“自己責任論”である。従って「本人自身が取り組まなければよくならない」ということをよく口にした。 しかし時代は変わりつつある。近年の停滞化した社会の中で多くの人たちが疲労している。そのことを考えると本人側にだけ病気の原因があるとするのは片手落ちとなる。 そして実際に私が本人の職場の関係者を交えて話をして思うことは、その職場側も理解を示してくれるということだ。そのことはテレビ番組などを見ても報道されるようになっている。これもまた時代の流れなのだろう。 ところで職場が病気とどのように関わっているのだろうか?職場のどこに問題があるのか?いろんな情報からすると一般的なストレスの原因と同じように人間関係や過剰な負荷などであるようだ。 従って本人は“自己責任”として自身が苦手としている人間関係の問題に取り組むことになり、一方で「仕事の負担を減らす」とか「配置転換」などを配慮を職場側が行うようになってきている。そのように時代の流れが変わりつつあると私自身は感じている。

Vol.53 希望(パート1)

 心身症的には病気の原因はストレスだが、そのストレスの原因は自分を抑えて言いたいことを言わないことによる。従って自己主張訓練が治療の一つとなるのだが、実際には組織の中で自己主張することは難しい。
 確かに自己主張というのは現代の“個人化”の象徴的なことだ。しかし一方で組織には“共同体”という伝統的な考え方が今なお存在している。その“個人化”と“共同体”意識という相反する狭間で各個人が翻弄されているのではないかと思う。
 特に1990年代から2000年代にかけての“失われた10年”の頃から現在に至るまで多くの人たちが疲弊感を持つようになった。その当りのところが書『希望学』(東大社研)に書かれている。
 個人が会社組織に所属すれば“共同体”という和を保つために個人は自己を滅する必要がある。従って個人は会社のために自己を犠牲にしてまで働き続ける。その結果多くの人たちが希望を失って精神的疾患や身体的疾患を患うようになり、さらには過労死や過労自殺などの問題も出現してきた。  
 しかし一旦病気になればそこには“個人主義”の原理が働く。つまり病気になったのは自己責任という訳だ。しかしそのように個人が不利にならないように労使間の調整を行う第三者(弁護士や労働組合など)が必要となる。そして以上のようなことが法的に制度化される必要があると言う。
 私自身これまで『個人の病気は職場の問題から分離されて医療側に委ねられる』ように感じて来たが、一方で最近は個人の所属する関係者とも話す機会も増えているので、社会的に個人を守る態勢が進みつつあるのではないかと思う。

Vol.54 希望(パート2)

 希望は対人関係とも関わっている。そのことについて『希望学』(東大社研)の中で論じられている。対人関係の中でも友人関係と希望との間には特に密接な関係にある。利害関係のない友人関係というのは自分の本当の姿が出てくる。そして『自分が存在していいんだ』とお互いに認め合う関係となる。それは自分の存在を自覚できる機会となる。そんな友人が三人もいれば大丈夫だと言う。つまり友人の存在が将来に対する希望につながる。
 一方、友人の他に重要な対人関係が家族との関係だ。しかし近年伝統的な日本の家族関係が揺れつつある。つまり『子供は大人しく親の言うことを聞いていればいい』という考え方がだんだん通らなくなってきている。というのも現代は自分の意見を求められる欧米型社会に移行しつつあるからだ。
 そこで今後の家族に求められることは何なのだろうか?私自身はやはり『失敗してもいいからやってみろ』という親の姿勢ではないかと思っている。そのことは『ダメだったらまた一緒に考えよう』ということであり、その信頼感が困難なときに本人の心の支えになる。そんな心の支えがあれば挫折してもまた次の希望に向かっていくことができる。
 以上のように友人や家族という対人関係は社会に出てからの困難な状況を乗り越えていくための心の支えとなる。しかしいったん組織内で起こった対人関係の問題に対しては組織内で解決していくシステムも必要となる。その一つとしてカウンセラーが存在しているが、今後はさらにその充実が期待される。

Vol.55 希望(パート3)

 今の世の中では学校や職場などの成績で人間の評価までされることが多い。従って当然のこととして紆余屈曲や挫折などは悪い評価を受けることになる。さらにその紆余屈曲や挫折は本人だけの問題となり職場の問題から切り離される。それは自己責任論であり失望の源になりやすい。
 そういう問題の対策について『希望学』(東大社研)の中で論じられている。話は某IT企業を辞めて行った実例が元になっている。なぜ優秀な彼女たちが人が羨むような会社を辞めたのか?大きく2つの理由があった。一つは「先が全く見えない」という理由で、もう一つは「先が見えてしまった」という理由だった。
 次々に激変して行くIT業界。彼女たちは仕事内容の対応に疲れ果て「先が全く見えない」状態に陥り将来に希望が見えなくなった。また彼女たちが当初思い描いていた理想像とは違う姿が将来に見えた。つまり「先が見えてしまった」。いずれにしても彼女たちが将来に何かワクワクするものを感じなくなったということだ。同時に将来に対し希望を失った。
 結局、彼女たちはそこで辞めて行った訳だが、その失望の中から一筋の光明を見出す術はなかったのか?その問いに対しこの書『希望学』は次のような方法を提案する。
 どんな紆余屈曲や挫折の場面においても失望に陥らないために、むしろ逆に“物語”を創っていくという積極的な姿勢が必要だ。つまり苦難の道を乗り越えて行く“ヒューマンドラマ”のようなものだろうか。しかも本人たちと職場側とが協同して作り上げるドラマだ。そんな創造的な過程が再び明日への希望をもたらす。その“物語”があったなら先ほどのIT業界の女性たちも希望を失って会社を辞めて行くこともなかっただろう。

Vol.56 希望(パート4)

 『希望学』(東大社研)の中で「現代はどう生きたらよいか分からないという不安が拡大している」と述べられている。昔から古今東西「いかに生きるか」という問いは人間に与えられた宿命のようなものだ。特に若い頃にはそういう哲学的な問い掛けに悩むことが多い。その問いに対しては多くの哲学者が答えてきていている。私自身について言えば特に実存主義的な生き方に共感したように思う。実存主義とは端的に言えば自分自身で自己を形成するというものだ。
 そして我々が社会に出てぶち当たるのが現実的な問題だ。それは主に人間関係の問題であり、それまでの「どう生きるか」という哲学的な問い掛けから「どう人の間で生きるか」という具体的な課題に移行する。それがうまくいかなければストレスとなり心身症にもなる。従ってストレスをためないように「自分の言いたいことを言い、自分の気持ちを出す」ことを本人が取り組むことが必要となってくる。
 その人間関係をさらに掘り下げて考えていくものとして精神分析が存在する。分析では現在の人間関係は生まれてからの親との関係が再現されていると捉える。すなわち「生まれてから現在までどう生きてきたか」とか「現在どう生きているか」を分析的に考えることによって「これからどう生きて行くか」ということも見えてくる。
 以上のことは「主体的に生きよう。自分の考えで生きよう」という考えが基本になっている。しかしその課題を一人で乗り越えることは難しい。書『希望学』(東大社研)の中に「どんな困難な状況でも自分を分かってくれる人が三人いれば大丈夫」というある人の言葉が出てくる。その三人の理解者としての役割を我々治療者側が果たせているかどうかは重要な点だ。我々はそのことをいつも自らに問い掛ける必要がある。私自身今あらためてそのことを問い直している。

Vol.57 常識では考えられないこと

 常識では考えられないことは物理の世界にもある。私自身理学部時代に物理を勉強していた。成績の良い学生とは縁遠かった私だが、特に印象深く記憶に残っているのがあの有名なアインシュタインの相対性理論だ。その考え方によれば時間というのは一定のリズムで刻んでいるわけではなくゆっくり経過することがある。
 例えば高速度で飛んでいるロケット内では地球上より時間の経過が遅くなると言う。そしてロケットの速度が速くなればなるほど時間はゆっくり進む。従って地球上にいる人たちはロケットの乗員よりずいぶん早く年を取るということになる。
 そんな常識離れした話を題材にした映画が昔あった。アメリカ映画『猿の惑星』だ。地球を飛び立ったロケットがしばらくしてある惑星に辿り着いたのだが、乗組員が目にしたのは崩壊した地下鉄や自由の女神像だった。実はそこは人間文明が滅んでしまった未来の地球だった。つまり高速度でロケットで旅している間に地球上の時間が早く経過していたのだ。そして今や猿が人間を奴隷として支配する世界に変わっていた。
 ところでアインシュタインは学校の成績は余り優秀ではなかったようだ。そういう話を聞くと何かホッとするものだが、アインシュタインは既成の学問の習得より自由な発想の持ち主だった。だからこそ常識では考えられないような真実を自然界に発見した訳だが、私のような凡人にできることは常識に囚われることなくいろんな角度から物事を見ていくことだ。そうすることによって物事の本質を見落とさいよう心掛けるしかない。さらにそれと同じことが自分自身についても対人関係についても言えるだろう。 さて参考までに時間がゆっくり進むという現象についてもう少し触れておきましょう。普段我々が体験するのは次のような現象だ。例えば我々が時速50キロで車を走らせているとき、対向車が時速50キロですれ違えば我々は相対的に100キロに感じる。また対向車が時速100キロであれば150キロに感じる。 しかし光の場合はそのような足し算にはならず常に一定であると言う。すなわち光の速度は観測者の動きに関係なく一定である。つまり我々が何か乗り物に乗って光に近付こうが遠ざかろうが光の速さは同じなのだ。これは実際に実験で証明されている。この常に光速度は一定であるという特性を使ってロケット内時間Tは下記のように導き出される。
  T=t÷[1ー(v/c)の2乗]の平方根
   ( T;ロケット内の時間、t;地球上の時間、
     v;ロケットの速度、c;光速度 )
 以上の公式でvの値が大きくなれば引く数も大きくなり分母が小さくなるのでTが段々大きくなる。つまりロケットが高速になればなるほど時間が遅くなる。興味のある方であれば御自身でこの公式を導き出すことができるでしょう。

Vol.58 いろんな角度から物ごとを見ること

 「いろんな角度から物ごとを見る必要がある」とはよく言われる言葉だけれども、実際に我々がちゃんとそれができているかどうかは疑問だ。従ってこの言葉はあらためて考え方の柔軟さの必要性を説いたものだろう。
 そしてもう少し言葉を付け加えれば「いろんな角度から見なければ物の本質が見えない」とか「まわりが見えなくなる」とかいうようなことになるだろうか。我々は世の中に出て困難に出会うことになるが、そのときいろんな角度から物ごとを見ていくことによってその難局を乗り越えることになるだろう。
 特に私がこの「いろんな角度から物ごとを見る必要がある」という言葉を印象深く聞いたのは物理学の先生からだった。もともと物理学が自由な発想を求められる学問であり、その先生も「いろんな角度から物ごとを見る自由な発想が必要だ」と言いたかったのだろう。我々のような普通の人にとって物理学の内容が社会に出て直接役に立つとは考えられないが、物理的に考えることが柔軟に物ごとを捉える助けにはなっているように思う。
 さて時間について言えば時間も常識では考えられない面を持っている。つまり時間は一定の間隔で刻まれているのではなくゆっくり刻むこともあるということだ。映画『猿の惑星』ではロケットで宇宙旅行をしている間に地球上の時間はどんどん過ぎてしまい、そのロケットが地球に戻って来たときには人類の文明は滅んでしまっていた。
 もしそのロケットが1年後に地球に戻って来たとき地球上で100年が過ぎていたとすると、そのときロケットの速度はどれくらい必要になるだろうか?参考までに次の公式を使って算出してみる。
 T=t÷[1ー(v/c)の2乗]の平方根
( T;ロケット内の時間、t;地球上の時間、v;ロケットの速度、c;光速度 )
 この式でT=100、t=1と代入してvを出すとv≒0.9999cとなる。すなわち光速度cの99.99パーセントに近い速さで飛び続けなければならない。しかしこのようにほとんど光速度に近い速さでロケットが飛ぶことは現実的にはあり得ない。だが、もしそんな速さで飛べば100年後の地球にたどり着くことになるんだと考えるだけでも楽しくなる。

Vol.59 小説の中の物理学

 物理学の話は思わぬところに登場する。例えば漱石の小説『三四郎』がそれだ。物理学者の野々宮先生は暗い穴蔵の中で光の圧力の実験をしている。雲母でできた薄い円盤を水晶の糸につるし、その円盤に光を当ててその動きを観察するのだ。
 光の圧力とは何か?光は粒子だから光が物に当たれば押す力となる。つまり光の粒子説にもとづく実験だ。それまで「光は波動なのか?粒子なのか?」という論争があったが、物に光を当てると電子が飛び出すという現象(光電効果)から光は粒子であると結論された。それで結局、光は波と粒子という2つの性質を同時に持つこととなった。
 その光の圧力の観察を毎日毎日暗い穴蔵の中でやっている野々宮先生を見て、三四郎はそれが何の役に立つのだろうかと思う。そういう科学的な実験や発見というのはその時代には何に役立つかはまだ分からないにしても後々に何らかの形で利用される日がくるものであるのだが。しかし三四郎にとって当面の課題は今をどう生きるかということなのだ。
 その時代は日本社会の変貌の時代だった。西欧の様々な文明が入り込み、その多様化した世の中にどう対応していくかが問われた。つまりは自分の生き方を自分でどう選択するかを問われ出した。いつの時代でもどう生きたらよいかというのは難問であり、三四郎もまたストレイシープ(迷える子羊)状態に陥っていた。
 そんな三四郎にとって将来何の役に立つか分からないようなことに専念する野々宮先生はどう思えただろうか。ただ純粋に科学のために身も心も注ぐという生き方に対し尊敬の念を抱いたに違いない。一方、そういう生き方のできない三四郎は時代に翻弄されながらも耐えて生きて行くしかない。まさにストレイシープが一つの生き方であると言えるのかもしれない。

Vol.60 ストレイシープ

 書『悩む力』(2008年)を最近読んだ。その中で著者の姜尚中(カンサンジュン)氏は小説『三四郎』(夏目漱石)について「三四郎の生き方を今も愛し続けている」と語っている。三四郎は自分が何をなすべきかを見つからずに何かを求めてさまよい続ける若者であり、淡い恋心を抱いている女性からはストレイシープstray sheepと言われてしまう。ストレイシープとは日本語で言えば“迷える小羊”となる。
 そういう三四郎に共感する姜氏は自らの体験から「自分が生きている意味を考えたり人間とは何かを考えてきたけれども、結局、解は見つからないと分かった。だが、解答は見つからなくて何が何だか分からなくても自分が行けるところまで行くしかない」と語る。
 小説『三四郎』が書かれたのは約百年前の明治時代である。大学に進学するため熊本から東京に出て来た三四郎は大都会の喧噪と時代の変貌の中に放り込まれて困惑する。三四郎にとって一体自分は何に生き甲斐を感じたらよいのかが分からなくなる。そのことはまた現代人にも同じことが言えるのではないか。つまり我々は混迷の時代の中でストレイシープ状態にある。
 だからこそ我々は何らかの解答をズバリ求めてしまいがちだ。そういう気持ちで何かを求めて『三四郎』を読めば、そこには悩むだけの青年がいるだけで少々物足りなく感じてしまうかもしれない。私自身がそうだったように。しかし人は一生をかけて何かを求めて行く存在なのだろう。そしてその何かが見つかるかどうかは何とも言えないが、そのように悩みながら何かを求めて行く過程が生きる力となるのではないか。そんなことを書『悩む力』と小説『三四郎』は語っているようだ。