随筆

Vol.1 精神分析

 心療内科では病気の原因はストレスであると言う。しかしストレスというのは外部から加えられたものなので問題を外的世界のことだけに限ってしまいがちだ。一方、外的世界だけでなく心の中の内的世界の葛藤にまで目を向けていくのが精神分析だ。

 私たちはイヤなことは思い出したくないのでそれを無意識の中に追いやる。その無意識の中に追いやったことが病気の原因となるので、それを意識の中に呼び戻そうとするのが精神分析だ。

 しかし治療者側に問題があれば治療上に支障が出るで、まず治療者自身が自らの内面を見つめ直しておこうというのが教育分析だ。

 私たちは自分の中の特定の人物に対する感情を無意識のうちに他の似た人に重ねることがある。治療現場ではPt(患者)と治療者の間に同様のことが起こる。従ってPtに様々な情動が起こっていると同時にそれに反応して治療者側も感情が動いている。

 『治療者が“心を乱しては望ましくないのではないか』と思われがちだが、実はそれもコミュニケーションの第一歩だ。それは相手の心の中を察知したということであり、相手を理解することにつながる。

 一方、やはり治療者自身に問題があって治療者が反応してしまうことはある。それは例えば治療者に重苦しい気持ちや腹立たしい気持ちが起こったときだろうと思う。従ってまず治療者自身が自らの内面を見つめ直していく必要がある。

Vol.2 喫茶店の思い出

鹿児島市の中心街をやや離れた小さな駅前にその喫茶店はあった。駅の裏手の坂を少し上がったところに女子短大があり、そこの学生さんたちも店に立ち寄っていた。私が初めてその店を訪れたのは、知り合いのクラシックギターの先生に連れて行かれたときだった。私が一大決心をして医学部に入り直した頃だ。

 そこはマスターとの会話を求めて老若男女が集まっていた。若い人たちは何か相談事を持ってくる人たちが多く、マスターはよきアドバイザーになっていたようだった。またやさしい奥様が時々店に来られると、その場の雰囲気がなごやかになった。

 その後、事情があってマスターは店を閉められたが、今でも私はマスターの家を訪ねることがある。私の他にも当時客だった人たちがよく訪ねて来られるようだ。最近では店の近くの短大に通っていた女性たちが7人も一緒に訪ねて来られたそうだ。しかも34年振りだったということなので、これもマスター夫妻が当時のお客さんたちの心の中に今も生きている証しのように思う。マスター夫妻は当時店で使っていた5つの椅子を持ち出してその女性たちをもてなしたとのことだ。

 私にとって非常に印象深いエピソードは『マスターがある女性を大変に叱った。が、翌日彼女は目をカッと見開いて店にやって来た』という話である。私が「『もう二度とそんなところに行くものか!』とソッポを向きかねないのに、どうしてまた来たのでしょうか?」と尋ねたところ、マスターの答は「愛情があるからです」というものだった。マスターが真剣に彼女を叱ったことが彼女の心に響いたということだろうと思う。そのエピソードはマスターが父親代わりのようになって若い女性たちを支えていたことを物語っている。

 ところで店に来ていた若い男性たちはどうだったかというと、最近私がマスターから聞いたところによれば、マスターの目には“よんごもん”に映っていたようである。“よんごもん”とは鹿児島独特の呼び名であり、標準語では“ひねくれ者”という意味に当たる。しかし“よんごもん”は“よんごもん”で道に迷いながらも、何かを掴もうと店にやって来ていたように思う。だからマスターは彼等の相手をし、彼等も誰かとぶつかることはあってもよく店を訪れたのだろう。

 お客さんたちはマスターとの会話でひとときを過ごし、奥様のやさしさになごみ、客同士の出合いがあり、若者たちは自分の生き方を模索していたように思う。そしてマスター夫妻は「喫茶店は自分たちにとっても多くの人に出会う場になったと思う」と振り返っている。

Vol.3 朝ドラ

 H8年のNHKの朝ドラ『ひまわり』は主人公Nが現実の厳しさに立ち向かいながら弁護士になっていくという物語。20年間行方知れずだった父親が突然帰って来てからドラマが大きく動き出す。親子の葛藤、嫁と姑の葛藤、親友間の葛藤などが一気に吹き出し、家中大騒動になる。

 それまで大人たちは問題の核心に触れないよう、家族の間でイヤなことは思い出さないようにしていた。そのため家族は幸せに仲良く暮らしているかに見えたが、娘は不器用な生き方しかできず、息子は進路が決まらず腰が落ちつかない状態だった。

 OL時代、Nは体の良いリストラに遭い会社を辞めた。そんなとき弟が窃盗事件に巻き込まれたのをきっかけに弁護士になる決意をする。アルバイトをしながら司法試験の勉強をしていたところに父親が突然帰ってきた。

 父親は何か大きなことをやり遂げたいと家を出て行った団塊の世代だが、家を離れてやっと『現実の身の回りの日常のことが大事だ』と気づき出した。また『逃げてきたものに向き合わなければ自分の人生が中途半端になる』と思うようになり家に帰りたくなった。

 しかし何者にもならなかったので今さら家族に会わせる顔はない。そして弟が店をオープンしたのをきっかけにその店にこっそり出入りしていた。そこでNとはち合わせする。結局、はち合わせという形ではあったが、父親は念願の家族との再会を果たした。しかし主人公は何者にもならずに帰って来た父親を認めることができない。理想のと現実のギャップに悩む。その後、父親は身のまわりの現実の問題に取り組み始め、それを目の当たりにして主人公は父親を見直し始める。

 ある日父親はNのアパートを訪ね、直接向き合って自分の気持ちを話した。Nは心の底では父親の気持ちが分かる気がした。なぜなら父親の話を聞きながら父親と同じような生き方を自分もしていることに気づいたからだ。N自身、このままでは何者にもなれないと言い張って弁護士の道を突き進んでいた。また、家を出て安アパートで受験勉強を始めると苦労の連続だったとき、実家に戻って勉強することになり家庭の有り難さに気づいた。

 しかし父親にしてみれば学生運動に参加したのも自立した自分を夢見たためだ。が、それも途中で脱落。次には何か闘いの場を求めて家を出て行ったものの失敗。そして闘いの場は自分の家に移り、悪戦苦闘の毎日が始まった。結局、その闘いの中で父親は積極的に問題の場面に向き合う。そこには失敗してもいいからチャレンジするという精神が存在する。

 このドラマの作者は脚本家の井上由美子氏。昨年、某新聞の『おやじのせなか』に井上氏の記事が掲載されていた。同氏が父親の背中に見たものは「たとえ失敗しても好きなことをやる」という姿だった。そういう父親から受け継いだ生き方が、『ひまわり』の中で“のぞみ”とその父親の生き方にも反映されていた。

Vol.4 映画(パート1)

 主人公の女医は化学療法の分野で有望な医師として活躍していた。しかし、夜中の急変患者の対応で不眠症になっていた。さらに、それまで何百人以上の患者を看取るなど多忙をきわめていた。

 その頃、主人公は妊娠中の子供を失い体調を崩した。睡眠薬を飲んで頑張ったが、突然息苦しくなり、動悸、めまい、冷や汗などの症状が出るようになり、心療内科でパニック障害の診断を受けた。

 自宅療養後、夫が付き添って病院勤務を再開。さらに勤務の負担も大幅に減らして一人で通勤を始めたが、やはり発作を起こした。さらに仕事の負担を減らされ、だんだん責任のある仕事から外され始め、プライドを傷つけられた主人公は強い発作を起こした。

 以前から夫の出身の村が気に入っていたので、病気を癒すために仕事を辞めて夫と一緒に田舎に移り住むことにした。そう決めた途端、安心したのか一人で買い物に出掛けられるようになった。

 主人公は村の診療所で月、水、金の午前中の診察を始めた。主人公が精神的にも時間的にも余裕ができて夫婦の会話も増えていった。また、阿弥陀堂のおうめ婆さんに癒され、田舎の自然に癒されて発作は出なくなった。そして新たな子供を授かることとなった。

 主人公は頑張って頑張って結局はダウンした。そのときの母親の言葉は「人は思い通りにいかない。それを知ることが成長すること」というものだった。「よく頑張ったね」という一言がない。娘を認めてあげる言葉がない。やってもやっても認めてもらえない。

 主人公にとっては頑張って良い評価を得ることが自分の存在感を持てるやり方なのである。しかし、そういう生き方が危うくなる。パニック発作のために病院での自分の役割が次第に縮小されたからだ。

 その頃に主人公が見た夢。大学通りにある葉の落ちたイチョウの木にカラスが数羽とまっている。雲が低く降りてくる。自分がイチョウの木のように枯れてしまうのではないかと恐怖に襲われる。

 これは主人公の心の中の孤独感、自分の存在がなくなりそうになる恐怖感を表している。そして現実世界では息が苦しくなって死にそうになる。

 この内的世界の起源は、主人公が幼稚園の頃に父親を病気で亡くしたときにさかのぼるように思われる。父親を亡くしたことは大変苦しく辛いものであったろう。しかし、その当時主人公がその辛さを乗り越えて行くだけの十分な対応がなされていなかったと思われる。

Vol.5 映画(パート2)

 主人公が父親の死に直面して起こった強い恐怖感は分割され、意識の彼方に追いやられた。主人公が医師になり何百人もの患者を看取ったときも自分は死とは無縁のものだった。

 が、最後に看取った患者が息を引き取るとき主人公が気が抜けていくように感じたのは、疲労のため心の中のイヤなものを見ないようにする力が弱くなっていたことを意味する。主人公はそのとき自分の内的世界を垣間見た。

 さらにその頃、主人公は自分の子供を失ったことによって死という現実に直面した。それが決定的になり心の中に残していた父親を亡くしたときの死の恐怖に向き合うことになった。

 以上のようにパニック発作の誘因は頑張り過ぎたことによるストレスと考えられる。主人公の場合、息苦しくなって死にそうな思いをすることは死という問題に目を向けるきっかけとなる。さらに、それが心の中に隠れている問題につながっていくところに病気の意味がある。

 主人公が自分を取り戻していった過程には阿弥陀堂のおうめ婆さんの存在が大きい。主人公にとっておうめ婆さんは母親代わりのようなものだった。そして、田舎の自然も人々も“母なる大地”のようなものでしょう。主人公は心を癒され、心の中に“いい母親像”を形成して行った。

 夫はどう関わったか?夫は山に薪を採りに入ったとき、主人公が見た夢と同じような不気味な光景を目にした。そこで初めて主人公の苦しみを理解する。

 阿弥陀堂はこの世かあの世かの区別がつかないところ。そこでおうめ婆さんは先祖の霊を守っている。おうめ婆さんに心を動かされた夫婦は自宅に仏壇を買って主人公の父親、夫の祖父母、母親の位牌を安置し合掌して霊を慰めた。

 そういうふうに主人公は死者の世界に触れることにより人の死というものを怖がらずに考えられるようになったと思われる。

 おうめ婆さんの話を『阿弥陀堂だより』に載せていた若い女性の病気が再発した。その病状が危機的状況になったとき、治療経験のあった主人公が一緒に治療することになった。また発作が出るのではないかと主人公は不安だったが乗り越えた。

 夫の恩師は自分が末期の病気であることを知っているが毅然して生きている。その姿から主人公は『よりよく生きることはよりよく死ぬことだ』と教えられる。

 その恩師の臨終に主人公が立ち合うが、以前男性を看取ったときのような気が抜ける感じはなかった。

 若い女性の治療と恩師を見送った体験は以前の問題つまり自分が発作をおこした場面に再び直面することである。それを克服したということはワークスルーしたということだ。それが可能だったのも、阿弥陀堂のおうめ婆さんに出会うなど移り住んだ村にその準備が整っていたからである。

Vol.6 学会

 日本精神分析学会第54回大会が、10/31から11/2までの3日間、福岡国際会議場(写真)で開催された。

 今回の学会で、神経症の治療においてその発症の状況を解明すれば大半の症例がよくなるという内容の発表があり大変印象深かった。

 すなわち、『病気が発症した時、例えば職場でPt(患者)とまわりの人との間にどんな葛藤があったのか?』や『治療場面でPtと治療者との間にはどんな葛藤が起こっているのか?』を解明するということである。

 通常の精神分析であればもっと幼少時までさかのぼり、心の傷となったために無意識の中に押し込められた“幼児期体験”を意識化させることになる。

 しかし発表者たちは“幼児期体験”を意識化させることをしないので『無意識の意識化』を行わないことになる。それで発表者は「私たちは“人間存在分析”と称している」と言われたが、司会者の北山先生が「それも精神分析です」と指摘された。

 “幼児期体験”を意識化させなくても大半の神経症がよくなっているのだから何も問題ではなく、それでよくならなかった症例に対して通常の“幼児期体験”を意識化させるやり方でアプローチすればよいと思われる。

 母親と赤ん坊との関係には代表的なものとしてホールディングholding(抱っこ)とコンテイニングcontaining(包容する)がある。

 ホールディングという考え方では、母親と生まれて間もない赤ん坊とは合体していると考える。一心同体なので母親は赤ん坊の気持ちを直感的に察することができる。赤ん坊が泣けば母親は腕の中でやさしく抱いて赤ん坊を穏やかにする。それは母親が赤ん坊をあやす普段に見られる姿である。

 一方、コンテイニングという考え方は独特である。ホールディングのように直感的ではない。その過程に投影同一視が介在する。

 母親と赤ん坊は生まれたときから独立した存在であると考える。赤ん坊は空腹などの自分のイヤな感情に耐えられないときどうするか?母親にイヤなものを投げ入れて自分のものではないとすることで楽になろうとする(投影同一視)。投げ入れられたイヤな感情を母親は自分の中に“包容する”。そういう方法で母親は赤ん坊が辛い気持ちであることを理解する。

 このコンテイニングは我々が相手を理解する手だてとなる。例えば我々は対人関係でイヤな気持ちになることがある。そのイヤな気持ちを早く吐き出そうとして我々は悪態をつきたくなるものだ。しかし、そのイヤな感情に耐えているとそれが相手の気持ちだと分かってくることがある。

 以上のようにコンテイニングは我々の対人関係上で相手を理解する基本の一つとなってくる。

Vol.7 小旅行(京都)

 今年9月中旬の連休、我々3人は京都に出掛けた。上の写真は嵐山にある昭和の大歌手MHの記念館の玄関前で撮ったもの。向かって左端が筆者、真ん中がO氏、右端がN氏。我々は以前北九州の某大学に勤めていた頃の知り合いである。

 今は住んでいるところは各々違うが、我々は時々“同窓会”のように集まって名所・旧跡を訪ねる。それが我々にとって見聞を拡げたりリフレッシュする機会となっている。また我々の職種も異なるので各々違う意見を聞くことができる。

 今回我々は嵐山の有名な“渡月橋”から歩いてこの記念館を訪ねた。我々にとって国民的大歌手の記念館も名所の一つだ。この館内の展示は充実している。天才少女と言われた時代から不死鳥のように蘇った東京ドームコンサートまで、その輝かしい歌手人生が時系列的に描かれている。そこからうかがい知れるのは『大歌手として一時代を築いたが決して平坦ではなかった』ということだ。やはり何かを成し遂げるためには才能だけでなく強い気持ちも必要なのだ。 

 さて我々3人は北九州の某大学に勤務していたが、その後三者三様の道を歩むことになった。O氏は新天地を長崎に求め、N氏は博士号を取得したあと下関の某大学の助教授として赴任した。そして現在は教授になっている。

 私が2人より先に辞職した。就職した当初より在職は数年間という約束事のようなものがあった。私もそれまでの自分を振り返り将来を見据えて、結局、『昔の夢をもう一度』という結論を出した。

 しかし現実はそんなにうまく行くはずもなく紆余屈曲した。そんなとき私にエールを送ってくれたのがO氏とN氏だった。と、そう思っていたのだが、実際のところは私が医学部に合格できるとは2人は思っていなかったようだ。最近そのことを初めて聞いて私は何か複雑な気持ちだった。結局何とかなった理由の一つは私が諦めずに粘ったということだろう。私の場合は“根性”という言葉がピッタリする。

Vol.8 ビオン

 ビオンは代表的な精神分析家の一人であり、コンテイニング(包容する)という母子の理論が重要である。

 赤ん坊は苦痛になれば泣いたり手足をバタつかせる。そのとき苦痛という感覚があるだけで、『空腹だ』という具体的な考えにまだなっていない。そして赤ん坊は自分の苦痛を母親に投げ入れることに徹する。母親は投げ入れられた苦痛をコンテイニングする。

 それから母親はその苦痛を『空腹ではないか?』と思って赤ん坊にミルクを与える。そして赤ん坊は空腹を満たされる。これは苦痛に対し母親は『それは空腹ということですよ』という意味付けをして赤ん坊に返したということである。これが繰り返されるうちに、その苦痛の感覚が『空腹』という“考えのもと”になっていく。

 それと同様に赤ん坊のその他の感覚も母親によって意味のあるものに変えられ抱えられるものに変えられる。そして再び赤ん坊にかえされる(アルファー機能)。これが繰り返されていくうちに赤ん坊の中にも同じ機能が形成される。

 この母子関係がうまくいけば子供は順調に成長する基本はできる。しかし現実はそう理想通りに母子関係がうまくいくとは限らない。その結果、多くの人たちが何らかの問題を自己の中に残しながら世の中に出て行くことになる。

 一方、世間には親代わりとなるような人がいることも確かである。そこには母親転移とか父親転移という疑似親子関係のようなものが存在し、その関係の中でうまくコンテイニングされることもあるだろう。

 また私たちの普段のコミュニケーションにおいても、お互いにコンテイニングし合うこともある。すなわち、私たちは相手が投げ入れたものを受けとめ、自分の感じ方や考え方で理解し修正して相手に返す。そうすることによってお互いが自分自身の感情に耐えたり考えたりする力を成長させていくことができる。

 ビオンの思考理論によれば人が考えるようになるには2つのことが関与している。一つは投影される内容とそれを受け入れる容器との関係である。例えば苦痛に感じられるもの(内容)は投げ出されるが、それを誰か(容器)がしっかりと受け止めるという関係が必要である。そしてその訳の分からない内容は意味のあるものとなって返される。

 もう一つは苦痛な情動が十分に心の中に留め置かれる必要があるということだ。つまり欲求不満に対する適当な忍耐力を要する。耐えている間に新たな気づきが現れる。それが考えられることにつながり、混沌としていたものがまとまってくる。従って苦痛から逃れるために、例えばイヤなことがあってすぐにその場を飛び出したり、汚い言葉を吐き出したりという行動化をしていたら思考力はつかない。

Vol.9 若大将

本年11月末に加山雄三絵画展に出掛けた。私は昔からの“加山雄三”ファンだ。“加山雄三”と言えばやはり映画や音楽の方が馴染み深いが、絵画も描かれている。加山氏の絵画の世話役をされている方によれば「加山先生は10数年前から描き始められた。絵画展が毎年四カ所で開かれている」と言う。

 今回の絵画展のトークショーで加山氏が「“うまいですね”と言われるより、“いい絵ですね”と言われる方がうれしい」と話されていた。『大事なのは他の誰でもなく本人がその絵を観てどう感じるかだ。自分の絵が誰かの感性に“いい絵だ”と響いたらうれしい』と、そういうことを加山氏は語ったように思う。

 加山雄三氏が主演した映画『若大将シリーズ』は全17作である。その中でも私が一番気に入っているのが『エレキの若大将』だ。この作品の中で若大将(加山雄三)がスミちゃん(星由里子)のために名曲“君といつまでも”を作曲するという筋書きとなっている。二人がこの曲をデュエットする高原のシーンが印象深い。

 映画の中で若大将の実家のすき焼き屋の経営が思わしくなくなったとき、若大将は大学を辞めて音楽で稼いで店を立て直そうと決意する。結局、映画の中でも“君といつまでも”がヒットし、そのおかげですき焼き屋は危機を乗り越え、若大将も大学を辞めなくて済む。

 一方、それとは対照的に青大将(田中邦衛)は大会社の社長の御曹司だが、何かにつけ親にお金を出してもらおうとするドラ息子だ。しかしそのドラ息子と律儀な若大将との掛け合いが映画を面白くしている。また青大将は若大将にとって恋敵である。結局、青大将はスミちゃんに振られ、若大将とスミちゃんが仲良くなるというストーリーだ。

 そういうように『若大将シリーズ』はハッピーエンドに終わる娯楽映画だ。しかし、主人公の若大将が大学を辞めて実家を立て直そうと決心する姿には、それが映画の中の話であるにしても、人としてのたくましさが感じられる。そこには「険しい道であっても何とかチャレンジして行こう」というメッセージが込められているような気がする。

 映画の中の若大将(加山雄三)はスポーツ万能で歌がうまくて自ら作曲演奏する。その上女の子にもててしまう。まさにスーパーヒーローだ。我々はそういう若大将に憧れたものだ。この映画が公開されていた頃は学生運動が盛んだった頃にも重なる。そんな時代に主人公がスポーツ、音楽、恋愛などと学生生活を謳歌している映画なのだから、世間では体制寄りだと揶揄(やゆ)する人たちもいたと言う。しかしそれは当たってないように思われる。

 スポーツにせよ音楽にせよ若大将は自らの意志で取り組んでいる。実家のすき焼き屋が傾きかけた時も若大将は自分が音楽で稼いで家を立て直そうとする。だからと言って若大将がそのまま家業を継ぐ訳ではない。跡継ぎは妹夫婦に任せて若大将は自分自身を信じて自らの道を切り開いて行く。そこに存在するのは主体性であり体制云々の問題ではない。そんな姿が多くの若者に共感され支持されたのだと思う。

Vol.10 嫉妬と羨望

 嫉妬jealousyと望envyとは混同しやすい。嫉妬というのは男女関係などの愛情感情のからんだ三者関係で使われるのが一般的である。“三角関係”では嫉妬して恋敵を追っ払おうとすることが起こる。

 一方、羨望はメラニー・クラインによって精神分析的に論じられている。それは三者関係というよりは二者関係である。誰かが自分より良いものを持っているとか優れた面を持っているとかいうとき人は羨ましく思うものだ。さらに羨ましさの度が過ぎれば良いものを持った相手を破壊しようとすることも起こりうる。それが羨望である。

 しかし破壊してしまえばその相手から何も得ることがないので本人は成長しないことになる。本来人は相手の良いところや優れたところを取り入れて自分自身のものにしていくのだから。

 この羨望は乳児期の頃から出現していて子供の成長を左右している。それが大人になっても強く残っていた場合、羨ましく思った相手の“足を引っ張る”とか、嫌みを言ったり悪口を言って相手を陥れようとするとかいうことが起こってくる。その姿は“負け惜しみ”のような様相を呈するかもしれない。

Vol.11 行動療法

行動療法は心身症においてよく行われている。人に刺激(ストレス)が加わると、それに反応して不安、怒り、嫌悪などの情動が起こる。さらに身体が反応して動悸がしたり呼吸が早くなったり血圧が上がったりという症状が出ることがある。それは本能的な心と身体の反応でもある。普通は一時的なものなので刺激がなくなれば症状も軽快する。

 しかし症状が続く場合がある。それが心身症と言われ、心臓神経症、気管支喘息、高血圧、胃・十二指腸潰瘍などがある。一方、これらの病気になるということはストレスから解放されることでもある。それは誤った対処の仕方が学習されたことを意味する。

 従って学習し直して症状が持続しないようにするのが治療となる。基本的には望ましい対処行動を取れば賞賛(強化)し、望ましくない対処行動に対しては注意する(嫌悪刺激を与える)などして除去していく。

 例えば拒食症では食べないことでストレスに対処しようとしている。だから治療においてはしっかり食べて体重が増えれば誉めてあげたり禁止していた散歩を許可したりする。一方、体重が減ればその理由を検討するものの、さらに禁止事項を増やしたりして行動制限していく。

 また、症状だけでなく考え方や対処の仕方についても検討していく。完璧主義だったり“白か黒か”という極端な考え方があるので、その中間を取るようにする。

 また主なストレスの原因は対人関係である。人間関係に対する心身症のPt(患者)の考え方は特徴的だ。すなわちそれまでの生活の中でPtは『人間関係においては何ももめごとが起こらないことが良いことだ』と考えている。自分の意見を言えば相手と衝突することが多いので相手に合わせることになる。そこで集団主張訓練というものが行われる。例えばPtや治療スタッフが一同に集まって、その前でPtは自分の意見を言う練習をする。

Vol.12 転移と逆転移(パート1)

 治療の現場で我々が気づくことは治療者側にもPt(患者)側にも様々な情動が起こっていることだ。私は心身症に携わっていた頃その情動の意味が分からず混沌とした心境に陥った。その後少しずつ分かってきたことは次のようなことである。

 Ptは治療者に対して様々な感情を抱いている。これが転移であるが、Ptは無意識のうちに自分にとって重要な人物像を治療者の上に重ねて見ている。さらにそれに反応して治療者側に様々な感情が生じるのが逆転移である。逆転移というと治療者の気持ちがぐらついているようで良くないイメージがあるがそうではない。実際は治療上重要な意味を持っている。

 すなわち治療者はそのとき自分に生じた感情を見つめることによってPtを理解することができる。つまりそのとき治療者はPtと同じ気持ちになっているということだ。例えば、私は心身症に携わっていた当時、Ptに起こる様々な情動やら自分に生じた様々な情動やらで混沌とした状態だったが、その私の心境はPt自身もそういう心の状態だったということだ。

 以上のように治療者自身も自己を見つめる必要があることを改めて痛感させられた。また転移という面から人間関係を捉えていくと現在の人間関係と過去の人間関係とがつながっていくことになる。

 我々がものごとを認識する場合、必ず自分独自の感じ方や考え方を通して行っているので実際とは違うものに変形されることになる。しかもそれは多分に空想的のようだ。つまり他者との関係も空想的に捉えられ変形されて心の中(内的世界)に蓄えられる。

 その心の中の対象関係が外の世界の誰かに転じて移される(転移)ので、ただ単に自己の重要人物との関係がそのまま他の人との関係に再現されるという訳ではない。

 その重要人物というのは第一に考えられるのが本人の親である。その関係が良くないものであれば、他の誰かが親に重なったときに無意識のうちに我々は怒りをぶつけてしまうだろう。そしてぶつけられた側にも何らかの感情が起こる(逆転移)。その転移や逆転移は我々の日常生活の中でいつでもどこでも起こっていて人間関係の基本の部分を占めている。が、その意味が日常場面で解釈されて語られることはない。

 それはやはり治療者によるしかない。そのとき問題となるのは治療者自身が感情的になるときだ。それは病的逆転移でありまだ解決されていない治療者自身の葛藤が現れていることを意味している。従って治療者自身がその解決に取り組む必要がある。

Vol.13 転移と逆転移(パート2)

ストレスで重要なのが対人関係だが、その対人関係を掘り下げて考えていくのが精神分析だ。つまり転移や逆転移などについて考えていく。転移というのは現在自分に問題になっている対人関係は過去の重要な人物との関係の再現であった。目の前の誰かが過去に怒りを抱いていた人に重なって見えれば、我々は感情的になり怒りが生じたり不安になったりする。それは我々にとってかなりの負担となって身体化や行動化が起こることもある。

 その転移や逆転移を扱えるようになるために私自身がまず分析を受けることにした(教育分析)が、その結果、その場の対人関係の中で転移や逆転移を私自身で実感できるようになった。また、転移や逆転移という考え方で説明することによって、それまで私の中で混沌としていたものがスッキリしてくる思いがした。

 やはり自然に起こってくる感情をそのままにしていたら混乱する。対人関係上に起こったトラブルのメカニズムを明らかにし、それに例えば転移とか逆転移という名称を与えていいけば、混乱していたものが整理整頓されるようになる。それが混乱状態から抜け出す方法の一つである。それが私の得た実感である。

 我々治療者とPt(患者)との間にも様々な葛藤がある。その中でも私にとって印象深いできごとがある。それはあるPtに「先生は自分のことしか考えていない」と言われたことだ。その言葉は私の心にグサリときたのだが、私はやはり『自分自身のことを考える』ことを続けた。それは何故か?今思えば『自分自身のことを知らないで他の人の事が分かるか』という私なりの考えがあったからだと思う。つまり『自分自身を知ることによって相手を知る』という考え方だ。

 そこで私が始めたことは教育分析を受けることだった。教育分析とはまず私自身が精神分析を受けて私自身を知っていくということだ。その中で転移や逆転移という考え方によって『自分を知ることが相手を知ることにつながる』ということが説明できたように思う。

 Ptによって葛藤が治療者に投げ込まれ(転移)、それに反応して治療者に情動が起こる(逆転移)。そのとき治療者に起こる感情はPtの感情でもあるので、治療者は常に自分のことを考えていなくてはならない。そしてそれがPtを理解することにつながる。そのとき治療者は自身の葛藤が持ち込まれていないか注意する。それは病的逆転移なので治療者はそれを十分に把握しておく必要がある。

 以上のように『自分のことを考える』ことは『相手のことを考える』ことにつながるのだと私自身は考えた。それはあのPtの言葉に対する言い訳のように聞こえなくもないが、それは私自身の信念のようなものであり、私自身を精神分析に向かわせた原動力になった気がする。

 ところで望ましい治療者というのはPtを鏡のように映す存在だと思われがちだが決してそうではない。以上で述べたように治療者というのはただ相手を映すだけの無機質な鏡のような存在ではなく、Ptと同じ様に情動がうごめいている。治療者の気持ちが動くからこそPtを知ることができる。

Vol.14 転移と逆転移(パート3)

 私がこれまで最も大変だったのは心身症で摂食障害治療に関わっていた頃である。そこにいる人たちの間には様々な情動が飛び交い人間同士がぶつかり合う戦場のように私には感じられた。私が一番負担を感じたのはPt(患者)が攻撃性を向けて来たときや行動化を起こしたときだ。そのときの私はと言えば『また問題が起こったのか』と正直うんざりした気持ちになったものだった。あるPtに「先生は自分のことしか考えていない」と言われたことがあったが、そう言って私を責めて来たのも摂食障害のPtだった。

 しかしそのときPtの行為に転移という意味付けをすることができればよかったと思う。何故ならPtは転移を通じて治療者と向き合い始めたということであり、そう意識できればこちら側もそれに耐えながら受け止めていく心構えができたのではないかと思うからだ。しかしPtの胸の内の分からない私は混乱するばかりだった。

 またそのように私が混乱したのは逆転移だったのだが、もちろん当時そんなことが分かるはずもなかった。今でこそ言えるがPtも混乱していてそれが私に移ってきたということを意味している。すなわちPtは表面上は攻撃的になったり行動化を起こしているが、そのウラではPt自身が混乱してどうしていいか分からず何とかしてくれるよう我々に伝えようとしていたのだ。

 それもコミュニケーションの一つである。会話中心の普通のコミュニケーションの形式ではないが、転移と逆転移を通じて無意識的かつ間接的にPtと治療者とのコミュニケーションが成立したということだ。

 別のPtの言葉に反応して私は怒りをぶつけたことがあった。それはPtに責められたように感じた私の逆転移だった。そのPtが言うにはそれまでに他の人との間にも私と同じような出来事があったらしかった。そのように反復強迫的に同じことを繰り返しているところに何か意味が隠されている。普通に考えればPtが私たちを怒らせたということになるのだが、今や私たちはさらに別の観点から考えて行くことができる。

 そのとき怒った私たちは過去の別な人に対する怒りをPtによって呼び起こされたのではないか?すなわちPtは私たちの過去の腹立たしい体験を呼び覚ましたのではないか。しかし自分の情動が激しく動いたときこそ私たちは自分を見つめ直すチャンスを得ている。そして自分の過去の葛藤を思い浮かべていくとPtの気持ちが少しずつ見えてきて、Pt自身も我々と同じくらい怒っているのではないかと思えてくる。

 私の経験では自分が相手に反応して感情的かつ攻撃的になっていれば病的逆転移を起こしている可能性が高い。しかし病的逆転移によって生じたイヤな感情をすぐに吐き出さずにじっと耐えて抱えていくと、自分自身を知ることになるし相手を理解することにつなげていくこともできる。

 しかし思いがけず怒りで相手を攻撃してしまったときも私たちはずっとそのことを気に留めているもののようだ。まわりの人たちからも「何であのときあんなこと言ったのだろう?どうして怒ったのだろう?何故か分からない」という言葉を聞くので、日頃は意識にのぼらないが私たちは心のどこかで内省しているようである。そして無意識の内省であってもその人の心の栄養になっているように思う。

Vol.15 摂食障害(パート1)

 私が心身症に所属していた頃に主に関わったのが摂食障害である。そこでこれまで私が体験して感じてきたことを書いていこうと思う。

 摂食障害というのは外見上の診断名であり、Pt(患者)は身体の症状で何かを訴えようとしている。さらにその根底には各人の生き方の問題が存在している。治療場面にはPt自身の人生が現れていたし、それに応じて私自身の生き方も問われるような気がした。そこは人間同士のぶつかり合う“人生劇場”のようでもあった。従って別の見方をすれば、Ptと治療者の私はお互いが自らの人生を見つめ直すためにその場で出会ったようなものだった。

 一方でPtは情動でも何かを訴えようとしている。それに応じて治療者側にも様々な情動が生じる。だから治療者側は自分に生じた情動から『Ptにとって自分は一体誰なのか?』『自分にとってPtは一体誰なのか?』という問い掛けをいつも行うことが必要である。つまり摂食障害などの心身症においては具体的な言葉ではなく非言語的にコミュニケーションが行われることになる。

 そうでなければ治療者側に起こる情動の意味が分からずに混乱するばかりだ。そしてPtも混乱しているのだから治療の現場は混乱した“戦場”のようにもなりかねない。それがその頃に摂食障害の治療に関わった私の実感だった。

 摂食障害には拒食症(AN)と過食症(BN)がある。ここではANについて一般的なことを述べていこうと思う。

 基本的には標準体重の20パーセント以上のやせが3か月以上続いている状態を言う。社交的にはまわりの評価を気にするあまり自己主張に乏しいという特徴がある。従って特にストレスに弱い。母親は過保護・過干渉であり父親は影が薄い。子供は親に気に入られようと“いい子”である。

 しかし家族との関係が生活の中心である間はそれでよいが、思春期の頃から学校生活がメインになってくるとまわりの友達とはうまくやっていけなくなる。思春期以降はアイデンティティの確立の問題で出てくるので自己主張に乏しい子供は戸惑うばかりである。次第に自分の存在感が薄れてくる。存在感を取り戻すために例えば勉強で頑張っても成績が振るわなければまたぐらつく。

 さらに自己の存在感を持つ方法としてやせることにこだわり始める。やせているというのはまわりの友人の良い評価を得られるし羨ましく思われる。満足感が得られてますますダイエットは進む。しかし本人に自分がやせているという意識はないので極端に体重が減ってしまう。

 治療法の一つに行動療法がある。入院させた上で行動制限し体重が増えたら徐々に制限を解いていくというやり方だ。これは身体面に主眼を置いているが、身体の病気にはまず身体的アプローチから開始するのが妥当のようだ。やはりある程度体重が増えないと会話は成り立たないように感じた。そしてこの行動療法の効果の程はどうかと言うと、私の体験では一部で比較的経過が良かったという印象がある。しかしやはりたいがい難しかったように思う。

Vol.16 摂食障害(パート2)

 一般的で教科書的な事柄だが子供の成長にとって重要な時期として再接近期というのがある。歩き始めた子供が母親から離れて外の世界に出て行く頃だ。このとき子供が外でやれたことを親に誉めてもらえれば子供は自分一人でやれたことが自信になる。それが繰り返されることによって子供は自分で考えてやれる人間だという自覚が芽生えると言う。

 拒食症(AN)になる子供はまさにその逆である。親に誉めてもらうなどの機会の薄い子供は自分がまわりに認められる人間だとは思われない。さらに自分で考えてやれる自信が身に付かない。自立する姿はむしろ親に無視される訳だから、そこで親と結びつくために子供が選択する方法は親の気に入られるようにすることである。子供は反抗もせず従順になる。これが過剰適応というものだ。

 本人が学校などの社会場面に出てもこの過剰適応というやり方は変わらない。過剰ではあるが一応は社会に適応しているのでアイデンティティがあるように見える。しかし社会生活上の問題が起こったとき、特にそれは対人関係上のことであるが、相手に合わせるだけで自分の意見を言ったり行動したりできないので、結局どうしていいか分からず混乱してしまう。

 拒食症(AN)では本人は奇麗になるためにダイエットを始める。その背景にはやせがもてはやされるという時代背景がある。やせればみんなに良い評価を得られ賞賛の的になる。一方、心理的に言えば自分の思い通りにいかなくなった現実の中でやせることによって自分の存在感を取り戻そうとしている。

 さらにもっと別の面から見ていけば対人関係の有り様に問題がある。つまり、相手に合わせて相手の理想通りに動くというやり方だ。その起源は母子関係にある。子供が成長する段階で子供の言動に対し母親が良い反応を示さなければ、子供は母親に気に入られるような言動を取ろうとする。すなわち母親の理想像を取り入れて母親と一心同体のようになっている状態だ。それは子供本来の自己ではないので偽りの自己と言える。

 そんな状態で世に出て行くことになるが、いずれ思い通りにいかなくなる。そして悩む代わりにダイエットを始めることになる。本人はやせることに満足するが、やせすぎるとまわりは心配する。それは母親に心配させ反抗することを意味している。それまで母親に合わせていた子供が自分を主張し出したのだ。

 従ってそれは一心同体になっている母親からの分離の第一歩である。すなわちやせて良い評価を得たいというウラで偽りの自己から真の自己へと脱却しようとしている。自立するための第一歩だ。

Vol.17 摂食障害(パート3)

 過食症(BN)について。たいがい嘔吐を伴うので過食嘔吐症と言う方がイメージしやすい。むちゃ食いが3か月以上続く状態だが、嘔吐を伴うので体重は標準的である。BNの人たちは自分の理想像をまわりの人たちに求めてその通りに動かそうとする傾向にある。そして治療の現場において私たちがPtの期待通りにならないと、私たちはダメな治療者になってしまう。そのことを私自身が身にしみて感じて来た。

 過食というのは相手を飲み込んでしまうことであり相手を自分の思い通りにしようということであると私は思っている。また嘔吐は自分の思い通りにならなかった相手を吐き出そうとすることである。その起源はやはり母子関係にある。理想的な母親と一体になろうとするが、理想通りにならないイヤな母親を排除しようとする。

 例えば食後に苦しいと訴えるPt(患者)がいたときにそれにちゃんと対応できなければダメな治療者になり、「こんなPtの気持ちが分からないでどうして心身症に関わっているのか?」と責められることになる。

 また私は何かにつけPtに「どうしたらよいか」と問われていたような気がする。それは本来ならPt自身が考えるべきことなのだが、それにちゃんと答えなければ私たちは何もアドバイスできない無能な治療者になってしまう。

 私は無能感や無力感を味わされた訳だが、それは社会に出て思い通りにいかなくて味わったPt自身の苦しみでもあるのかもしれない。その苦しさをPtは私の中に吐き出そうとしているのだろう。私たちが分かってあげれるのはそういう過食嘔吐のウラに存在するPtの苦しみなのだと思う。

 一方Ptの「どうしたらよいか」という問い掛けは『これから人生をどう生きていったらいいか』という課題でもある。それは人任せのようではあるが自分の人生を何とかしたいというPtの気持ちの現れでもある。従ってPtが自らの考えで動いていく自立した人間を目指すことが治療目標の一つとなる。

 拒食とか過食というのは外の世界に現れた姿を述べている訳だが、もっと心の中の内的世界について見て行くとある病的状態の存在に気がつく。私が最も重要だと思うのはPt(患者)の取ろうとする一心同体の状態だ。

 拒食症(AN)では相手の理想通りに動くことで相手と一体になろうとする。また過食症(BN)では相手に自分の理想像を押し付けることで相手と一体になろうとする。つまり『相手に自分を合わせようとする』か『相手を自分に合わせようとする』かの違いだ。

 いずれにしてもPtは他者に埋没しているので自分の姿が見えない状態である。そこには自己が存在しない。自己の存在感が感じられなければ内心穏やかではおれなくなり動揺して行動化や病気の原因になる。結果的に行動化や病気は自らの存在を際立たせることになるのだが。

 治療の大きな目標はPtがその一心同体の状態から抜け出すことにある。しかし理論的に言葉で説明してもほとんど効果はない。治療場面で実際にPtが治療者と一心同体になろうとしたときがチャンスとなる。そして自分の思い通りにならない苦しみをPt自身が味わい耐えることが重要だ。

Vol.18 摂食障害(パート4)

 最近、かって私が摂食障害の治療に関わっていた現場から聞こえてくる声は「一度退院してもしばらくして再入院になるPtが多くなった」というものだ。世の中が複雑化しPtも変わって来たということだろうか。治療法としての行動療法(BT)の限界だという声もある。

 その当時、アメとムチのようなBTのやり方は私には動物の調教のように思え、「サルの調教だ」とつい本音が出たこともあった。また『BTだけでは理論が足りないのではないか』とも思えた。さらに正直に言えば、私はその頃退院していくPtたちに対し『本当によくなったのかな?』という疑問もいだいていた。

 当時私は混乱していたが、その第一の理由はPtや治療者に起こる様々な情動に翻弄されたからだと思う。そこには両者の関係を説明する理論が不足しており、病気のウラに潜む内的世界を知ることができなかった。

 その後に出会ったビオンのコンテイニング(包容する)という考え方には納得できるものがあった。すなわちPtが自分では抱えられなくて吐き出してくるイヤな感情を治療者はすぐにそのまま投げ返すのではなく、自己の中で意味のあるものに形を変えて適当なときにPtに返すというものだ。

 一言でそう言ってもそれを体得するには時間と労力を要する。さらにPtも治療者側も本当にその必要性を感じて忍耐強く続けられるかどうかにかかってくる。先ほどのまた舞い戻って来るというPtたちというのは、ひょっとして自己の内的世界についてもっと知りたいと感じている人たちなのかもしれない。

 摂食障害に対する心身症的アプローチの影響はどうだったか?あくまでも私の個人的な意見ではあるが比較的経過が良かった人たちは次の通り。

 拒食症ANの一部は経過は良かったように思う。何が良かったかというと自分の気持ちを言うようになったことがある。自分の葛藤の対象である母親にこれまでの自分の不満をぶつける子もいた。自分の気持ちを抑圧するからストレスがたまって病気になる。そんな問題の解決に本人が取り組んだと言えよう。そういう意味でみんなの前で話をするという集団主張訓練も効果的だったのかもしれない。

 一方で嘔吐を伴うANについては治療が難渋した。治療が中断することもあった。しかし中には落ち着く人もいた。その場合は特に家族が治療に協力的だったことが大きい。以心伝心ではないが家族が本人の気持ちを理解し始めるとそれが本人にも伝わるようだ。そういう意味では家族療法が回復のきっかけになったと言えるだろう。

 過食症BNについては絶食療法が良かったように思う。10日間の絶食に耐えることよって「病気を人のせいにしていた」などの認知の変容が得られた。そして退院して社会復帰した。

 以上から回復にとって大事なことは、本人が自分の気持ちを伝えることができるようになること、自分の問題を人のせいにしないようになること、そして家族が本人の気持ちを理解するようになることなどである。そんなことをやり遂げて経過良くなった人もいた。

Vol.19 摂食障害(パート5)

 私は過食とか拒食とかいう表に現れた現象にとらわれないでそのウラに潜む問題に焦点を当てていく。中でもアイデンティティの問題が重要だと思う。子供は成長の段階で親との同一化を図って大人になっていく。しかしその同一化がうまくいかなかったときは“歪んだ”ものとなる。例えば自分をまわりに合わせる同一化とまわりを自分に合わせようとする同一化の形を取る。

 そういうやり方は社会に出て通用するはずもなくいずれ挫折する。その結果、混乱した人は拒食症になったり過食症になったりする。そして次にはPt(患者)の葛藤は治療の現場で再現されることになる。再びPtは思い通りにいかない事態に陥るのだが、その苦しみに耐えることがその歪んだ同一化から脱却する道となる。

 Ptがその辛い状況に耐えれるかどうかは一緒につき合っていく治療者側にも掛かってくる。しかし以前の私のようにPtと一緒に混乱していては心もとない。その反省のもとに私がたどり着いた“事の真相”は『私に起こっていた混乱はPtの混乱でもあった』ということだ。つまりPtは自分で抱えられない苦しさを治療者の中に投げ入れて楽になろうとする。私たち治療者はそのPtの混乱や辛さを感じ取りながらPtとつき合っていくことになる。

 私が心身症に関わっていた頃に特に心配だったのは『病棟を飛び出してPt(患者)に何かあったらどうするというのか?』ということだった。それは何度も飛び出されるという体験をした者の実感である。それらのPtというのはたいがいが治療が難渋する人たちだが、その中には内科病棟では管理できないので精神科にお願いしたこともあった。そして結局落ち着いて退院に至った人もいた。

 その後、私は心身症の場を去りいくつかの精神科病院に勤務することになったが、そこで分かってきたことはPtにとって閉鎖病棟や個室が落ち着く場所になるということだった。そこはむしろPtにとって安全な場所を提供していた。もちろんそこにはスタッフによる十分な治療や看護があればこそではあるが。

 以上のことは病棟全体がPtを包み込む役割を果たしていることを意味している。あくまでも私個人の意見ではあるが治療が難渋するPtたちには心理療法などの言葉による効果は薄いように感じる。それらのPtに対しては家族の理解が深まることが良い方向に向かうきっかけとなったが、一方で病棟全体の関わり方が効果を及ぼすこともあったような印象がある。確かにその様子はビオンの理論の母子関係に似ているようだ。

Vol.20 気分障害

 気分障害で代表的なものが“うつ”である。少し前までは“うつ”という言葉はいいイメージを持たれないので使うのをはばかれる傾向にあった。特に知られるとショックが大きいので本人には言わないようにする風潮があった。しかし最近はずいぶん状況が違ってきている。「しっかり薬を飲んで休んでいれば必ず治る病気だ」と本人にも説明することが一般的になったように思う。

 “うつ”の原因としてはやはりストレスによるものが多いようである。仕事などで頑張りすぎるために疲れ果ててダウンする。従って負担を減らしてしっかり薬を飲んで休めば良くなるものである。

 また我々は喪失体験によっても気分が落ち込むことがある。例えば受験など学業上の失敗も喪失体験になり悲哀感を感じる。この場合は薬の助けを借りなくても時間が解決してくれるもののようだ。

 ところでうまくいかないことを人のせいにする場合がある。そして誰かに傷つけられたと感じる。このときが最も注意を要する。つまり大事なことはその悲哀感を自己の心の中に留め置くことだ。そのときは大変辛い思いをするのでまわりに支えてくれる人たちがいた方がよいと思う。それは家族だったり親しい友人だったりする。また治療者であることもある。その結果、自己の中に持ちこたえる力がついてくることだろう。