Vol.60 ストレイシープ

 書『悩む力』(2008年)を最近読んだ。その中で著者の姜尚中(カンサンジュン)氏は小説『三四郎』(夏目漱石)について「三四郎の生き方を今も愛し続けている」と語っている。三四郎は自分が何をなすべきかを見つからずに何かを求めてさまよい続ける若者であり、淡い恋心を抱いている女性からはストレイシープstray sheepと言われてしまう。ストレイシープとは日本語で言えば“迷える小羊”となる。

 そういう三四郎に共感する姜氏は自らの体験から「自分が生きている意味を考えたり人間とは何かを考えてきたけれども、結局、解は見つからないと分かった。だが、解答は見つからなくて何が何だか分からなくても自分が行けるところまで行くしかない」と語る。

 小説『三四郎』が書かれたのは約百年前の明治時代である。大学に進学するため熊本から東京に出て来た三四郎は大都会の喧噪と時代の変貌の中に放り込まれて困惑する。三四郎にとって一体自分は何に生き甲斐を感じたらよいのかが分からなくなる。そのことはまた現代人にも同じことが言えるのではないか。つまり我々は混迷の時代の中でストレイシープ状態にある。

 だからこそ我々は何らかの解答をズバリ求めてしまいがちだ。そういう気持ちで何かを求めて『三四郎』を読めば、そこには悩むだけの青年がいるだけで少々物足りなく感じてしまうかもしれない。私自身がそうだったように。しかし人は一生をかけて何かを求めて行く存在なのだろう。そしてその何かが見つかるかどうかは何とも言えないが、そのように悩みながら何かを求めて行く過程が生きる力となるのではないか。そんなことを書『悩む力』と小説『三四郎』は語っているようだ。

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