Vol.51 トラウマ

 精神分析に対して「そのような決定論的な考え方では過去のトラウマに縛られて自由な生き方ができない」という異論もあるようだ。しかし私自身にはどうしても精神分析が決定論とは思えない。そう私が思う理由について考えてみたい。

 今一度フロイトの精神分析の理論に戻ってみると、それは父親と3才頃の子供との関係を論じている。つまりその頃の父親との葛藤が解決されずにトラウマになっているので神経症の原因になるというものだ。

 それは過去の人間関係が現在の人間関係を規定していると考えているのだが、だからと言ってその関係が未来までずっと続いていく訳ではない。すなわち分析的に考えれば過去のトラウマは現在の人間関係に再現されているのだから、その現在の問題に取り組むことによって過去の問題が解決されることを意味する。そして病気もよくなる。

 そうやって過去の囚われから解放された後に未来に目が向き始める。すなわち次の段階として「将来どう生きるか」とか「人生いかに生きるべきか」という思いが出現してくる。その結果、例えば自分がそれまで悩んで来たので同じように悩んでいる人たちのためになるような仕事をしたいと思うかもしれない。また意外とそのトラウマのもとになった人と同じような道を進む可能性もある。それは過去の問題点を振り返ることを実践したが故に得られる結果だ。

 以上のように考えると決して分析は過去のトラウマに囚われているだけの決定論ではない。なぜならそのトラウマを解決して新しい自分に生まれ変わろうというのだから。それは本人が将来に向かおうしていることを意味している。

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