Vol.36 目鼻立ちがない(パート3)

 書『被虐待児の精神分析的心理療法』の中で印象的なのは大人(施設のスタッフ)と子供(被虐待児)との間で起こる闘いだ。大人は自分に起こる苦悩と闘い、子供たちも自己の苦痛と闘う。両者が同時に闘うことによって子供は“被虐待児”からの脱出を図っていく。すなわち子供は目鼻立ちのない存在から実存の方向に進み始める。

 さて“被虐待児”とは「情緒的に剥奪された」という意味で、「子供の感情を受けとめてそれについて一緒に考えるくれる大人がいなかった」ということだ。そういう大人は子供の心の中で“迫害者”や“虐待者”となって存在する。そして何かのきっかけで今度は子供自身がその“悪者”に乗り移って無意識のうちに他の大人を攻撃することになる。

 このとき大人の技量が問われる。大人が子供の怒りを受けとめれるか?それとも逆切れしてしまうか?この逆切れは子供の怒りに大人が怒りで返したということだ。つまり大人が自分の苦痛を怒りに転換して感情的になったということだ。これは大人は子供と同じように怒っているだけで子供の心情を捉えていない。

 私たちは子供の心の傷を直接見ることはできない。全ては私たち自身の情緒を知覚する能力にかかっている。子供はまわりの人々を傷つけることによって間接的に自分の苦痛を伝えようとしている。そのとき大人は自分に起こった苦痛が子供から伝わってきた苦痛でもあることに気づく能力を求めらる。

 私たちは受容力と忍耐強さをもって子供の苦しみを抱える必要がある。それは子供が誰かと信頼関係を体験することになる。そして子供は心の中に“守ってくれる者”や“信じられる対象”を内在化していき、再び恐怖や不安を感じたときに耐えられるようになる。

 私自身が臨床の場で感じることは、多くの大人たちが「困っているのは自分たちだ」というように被害者の立場に居ることだ。何とかして大人たちが「本当に困っているのは子供たちだ」ということに気づくことが重要だ。そう気づくことによって大人は子供と共に闘っていく原動力を得ることができる。

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