Vol.29 自己形成(パート3)

  自分で自分をつくるとはどういうことか?実存主義の哲学者サルトルは「自分の中に道徳や掟をつくることだ」と言う。しかし一般的に道徳や掟というのは家庭教育や学校教育によってすでに出来上がっているはずだ。従ってサルトルの言っているのは、すでにできあがったものを指しているのではなく、さらに新たに独自の道徳や掟をつくるという意味だろう。その年齢はいつ頃だろうか?それらは意識してつくるものだから『人生いかに生きるべきか』などと考え出す年頃だ。すなわち早熟の人で中学生の頃、大体は高校生か大学生に相当する年齢ではないかと思う。

 自分の中に掟をつくることが自己形成であれば、精神分析的に言えば3~4才の頃にすでに掟は形成され始めている。つまり親との葛藤の中で「~してはならない」とか「~すべきだ」という超自我の形成だ。それは無意識のうちに出来上がるものだが、超自我が強すぎれば自己抑圧的になったり理想的過ぎる人になってしまう。

 自己抑圧的であれば例えば心身症などの病気になることもある。言いたい事を言わなければストレスがたまって体に変調を起こすからだ。したがって治療に際し治療者側は「自己主張しよう」と提案する。現実に集団主張訓練という治療法もある。ところが「自己主張すれば相手と衝突するのではないですか?」という疑問が返ってくることがある。良い質問だ。確かにお互いに自分の意見を主張すれば衝突することになる。

 そんなとき私は「やはり衝突覚悟で自分の意見を言っていくしかない。違う意見を闘わせることによって一段高い段階に達する」などと私は答えるのだが、それに付け加えて「言うのは簡単だけど実行は難しい』と言い足しているのが現状だ。『一段高い段階に達する』などということに至っては理想的過ぎて実現は至難の技だ。第一そう言っている私自身ができているかどうか怪しいのだから。

 しかし確かに言えることは『衝突することが大事だ』ということだ。“衝突する”ということは“闘う”ことを意味する。闘うという体験自体に意味がある。その体験を重ねて闘う力を身に付けることだ。その力がなければ人間社会を生きていくのは困難だ。そして「衝突したらどうするか」は衝突して何かが起こった時点でまた考えることになる。そうすることによって自己を再形成していけるのではないかと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です