Vol.27 自己形成(パート1)

 人の主体的な生き方を問い掛けたのがフランスの実存主義哲学者サルトル(1905~1980)だ。私の理解している範囲内でサルトルについて書いてみたいと思う。サルトルの著書に『実存主義とは何か』があって、実存主義について比較的分かりやすく書かれている。

 サルトルは「実存は本質に先立つ」と言う。従って人というのは生まれたときは何者でもないので自分で自分をつくりあげていかねばならないと言う。一方「実存は本質に先立つ」ではなく「本質が実存に先立つ」という場合はどうなるか?サルトルはペーパーナイフを例にして説明している。ペーパーナイフは最初から紙を切るために作られている。つまり何に使うかという目的が最初になければペーパーナイフは作られることはない。従って紙を切るためという本質がペーパーナイフという道具より先立っている。

 今でこそ「自分自身で自分をつくる」という考え方は当たり前のように思われる。が、そういう実存主義の考え方が出現するまでは「本質が実存に先立つ」という考え方が主流だった。つまり人は何か目的を持って生まれるというような考え方が一般的だったので、そんな時に全く逆の考え方が登場したことで大論争が巻き起こった。

 サルトルによれば人間も偶然この地球上に現れただけに過ぎないと言う。しかし人間が他の存在物と違うのは人間は自らの力で自分をつくっていく唯一の存在であるということだ。そこに人間としての尊厳がある。

 人がただの存在から自己形成していくためには実際に社会の中に身を投じて行動していく以外にない。さらに自分をつくるのに人間世界の他者を必要とする。

 人が主体として存在するのと同じように他者も自由な主体的存在として目の前に現れる。そして他者は同調したり反対したりする。すなわち褒め言葉もあるだろうが悪口や厳しい言葉であったりする。しかし他者がそう言ってくれなければ人は何者でもあり得ない。その中で人は例えば自分なりの道徳や掟を創りあげていく。すなわち自分以外に“立法者”はいない。

 サルトルは「実存主義はヒューマニズムである」と言う。人は外の人間世界の中で他者を通じて自己形成を果たしていく存在である。しかも自己責任のもとに乗り越えていかなければならない。

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