Vol.28 自己形成(パート2)

 私がサルトルの実存主義に共感したのは20才前後の頃だった。多くの若者にとって哲学は来るべき将来に向けての生き方の指針となるのだと思う。その中でも自分で自分をつくるという実存主義的な考え方は前向きで積極的だ。

 その後医療の現場に関わるようになってから私は過去を振り返ることを思い出したような気がする。「何が病気の原因なのか?」ということを考えるうちに必然的に過去にさかのぼることを迫られた。そして『病気になるということは一度立ち止まってこれまでを振り返るという意味がある』と考えるようになった。

 精神分析では過去の重要人物との葛藤が病気の原因であると考えられる。その過去の葛藤が現在の人間関係上に再現され、今の対人関係が良くなったり悪くなったりする。そうであれば「人が行動する前にもうどうなるかは決定されているようなものだ」と言われても不思議ではない。「決定論は存在しない。人間は自由だ」と精神分析を批判したのがサルトルだ。実存主義の考え方では人は最初は何者でもなく何者にも支配されていないのだから。

 ところで私の場合は実存主義も精神分析も特に矛盾することなく私の中に存在している。実存主義は生き方の基本の一つとして、精神分析は治療法の一つとして私の中に存在するように思う。しかし両者は別々のもののようだが私にとっは両方とも自分で自分をつくっていくもののように思われる。

 どうして精神分析に自己形成の面があると私には考えられるか?人は心のどこかで過去の問題に捕われているために自分の思い通りに動けないことはある。みんながみんな主体的に生きていける訳ではない。そのために苦悩して病気になることだってある。ならば病気になった時点でその問題点に気づいてその解決を目指せばよい。それが治療目標となって病気からも回復していく過程で再度主体性を学び直すことになる。その後に社会に出て主体的に行動して自己形成していくことになる。

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