Vol.23 主体性(パート1)

 病気をきっかけに症状を取るだけでなく本人のこれまでを振り返っていく。振り返っていくとそこには本人がぶち当たったハードルが存在する。その多くが人間関係上のストレスである。現在は社会に出れば人間関係が闘いの場になることもある。従って闘う力が必要となる。

 その闘う力の根源はどこにあるのか?それまで競争にもまれて闘ってきた経験があるかどうかにかかっている。さらに私たちは遠くエディプス期の葛藤(注記1)にさかのぼることができる。そのときの親との葛藤は一種の闘いである。しかもお互いに有益で意味のある闘いとなる。その中で子供は闘う力を獲得する。闘う力というか競争に食らいついていく力だ。さらに闘うためには“敵”を知ると同時に自分自身を知ることも必要だ。それを可能にするのが前エディプス期の葛藤(注記2)で得られたものである。すなわち相手の心情を思いやる力や辛い事に耐えていく力などである。

 それらの力は他力に頼りすぎることなく自力でやっていく上で必要な力である。そこには自らハードルを乗り切っていこうとする主体性がある。

(注記1)エディプス期の葛藤:フロイトの有名なエディプス・コンプレックス。3~4才頃の反抗期に相当する。子供は父親との葛藤の中で父親の力強さを獲得する。

(注記2)前エディプス期の葛藤:メラニー・クラインは2つのポジションについて述べている。

①妄想ー分裂ポジション(生後から6ヶ月の間);

 空腹のとき適切に母親によってミルクが与えられれば、赤ん坊の心の中には安らいでいる良い自己と良い乳房が存在する。しかし例えば母親が忙しかったりして適切にミルクが与えられなければ、空腹で苦痛にあふれた悪い自己と適切でない悪い乳房が存在することになる。そのとき赤ん坊は母親を良い乳房や悪い乳房というように“もの”として部分的に捉えているだけで、一人の母親として捉えている訳ではない。

 つまり赤ん坊は自己の快か不快かの気持ちによって良いものと悪いものとに分割しているのである。そして自己の良いものを守ろうとして悪いものを自己の外に排出しようとする。しかし今度はその排出した悪いものから逆に攻撃されるのではないかという妄想的な不安が生じてくる(迫害不安)。実はその悪いものは赤ん坊自身の攻撃性を投影したものである。

②抑うつポジション(6ヶ月から2才くらいの間);

 悪いものに攻撃されたと感じた赤ん坊は反撃に出る。そして悪いものを破壊してしまったと感じたとき、実はそれが良いものでもあることに気づく。つまり悪い乳房だと感じて攻撃したのだが、それが良い乳房でもあることに気づく。そして愛する母親を傷つけてしまったと絶望感や非哀感などが生じて抑うつ的になり、相手に済まなかった償いたいという気持ちが生じる。このとき良いものと悪いものというように別々に感じていたものが同じ対象であると全体的に捉えるようになる。

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