Vol.19 摂食障害(パート5)

 私は過食とか拒食とかいう表に現れた現象にとらわれないでそのウラに潜む問題に焦点を当てていく。中でもアイデンティティの問題が重要だと思う。子供は成長の段階で親との同一化を図って大人になっていく。しかしその同一化がうまくいかなかったときは“歪んだ”ものとなる。例えば自分をまわりに合わせる同一化とまわりを自分に合わせようとする同一化の形を取る。

 そういうやり方は社会に出て通用するはずもなくいずれ挫折する。その結果、混乱した人は拒食症になったり過食症になったりする。そして次にはPt(患者)の葛藤は治療の現場で再現されることになる。再びPtは思い通りにいかない事態に陥るのだが、その苦しみに耐えることがその歪んだ同一化から脱却する道となる。

 Ptがその辛い状況に耐えれるかどうかは一緒につき合っていく治療者側にも掛かってくる。しかし以前の私のようにPtと一緒に混乱していては心もとない。その反省のもとに私がたどり着いた“事の真相”は『私に起こっていた混乱はPtの混乱でもあった』ということだ。つまりPtは自分で抱えられない苦しさを治療者の中に投げ入れて楽になろうとする。私たち治療者はそのPtの混乱や辛さを感じ取りながらPtとつき合っていくことになる。

 私が心身症に関わっていた頃に特に心配だったのは『病棟を飛び出してPt(患者)に何かあったらどうするというのか?』ということだった。それは何度も飛び出されるという体験をした者の実感である。それらのPtというのはたいがいが治療が難渋する人たちだが、その中には内科病棟では管理できないので精神科にお願いしたこともあった。そして結局落ち着いて退院に至った人もいた。

 その後、私は心身症の場を去りいくつかの精神科病院に勤務することになったが、そこで分かってきたことはPtにとって閉鎖病棟や個室が落ち着く場所になるということだった。そこはむしろPtにとって安全な場所を提供していた。もちろんそこにはスタッフによる十分な治療や看護があればこそではあるが。

 以上のことは病棟全体がPtを包み込む役割を果たしていることを意味している。あくまでも私個人の意見ではあるが治療が難渋するPtたちには心理療法などの言葉による効果は薄いように感じる。それらのPtに対しては家族の理解が深まることが良い方向に向かうきっかけとなったが、一方で病棟全体の関わり方が効果を及ぼすこともあったような印象がある。確かにその様子はビオンの理論の母子関係に似ているようだ。

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