Vol.17 摂食障害(パート3)

 過食症(BN)について。たいがい嘔吐を伴うので過食嘔吐症と言う方がイメージしやすい。むちゃ食いが3か月以上続く状態だが、嘔吐を伴うので体重は標準的である。BNの人たちは自分の理想像をまわりの人たちに求めてその通りに動かそうとする傾向にある。そして治療の現場において私たちがPtの期待通りにならないと、私たちはダメな治療者になってしまう。そのことを私自身が身にしみて感じて来た。

 過食というのは相手を飲み込んでしまうことであり相手を自分の思い通りにしようということであると私は思っている。また嘔吐は自分の思い通りにならなかった相手を吐き出そうとすることである。その起源はやはり母子関係にある。理想的な母親と一体になろうとするが、理想通りにならないイヤな母親を排除しようとする。

 例えば食後に苦しいと訴えるPt(患者)がいたときにそれにちゃんと対応できなければダメな治療者になり、「こんなPtの気持ちが分からないでどうして心身症に関わっているのか?」と責められることになる。

 また私は何かにつけPtに「どうしたらよいか」と問われていたような気がする。それは本来ならPt自身が考えるべきことなのだが、それにちゃんと答えなければ私たちは何もアドバイスできない無能な治療者になってしまう。

 私は無能感や無力感を味わされた訳だが、それは社会に出て思い通りにいかなくて味わったPt自身の苦しみでもあるのかもしれない。その苦しさをPtは私の中に吐き出そうとしているのだろう。私たちが分かってあげれるのはそういう過食嘔吐のウラに存在するPtの苦しみなのだと思う。

 一方Ptの「どうしたらよいか」という問い掛けは『これから人生をどう生きていったらいいか』という課題でもある。それは人任せのようではあるが自分の人生を何とかしたいというPtの気持ちの現れでもある。従ってPtが自らの考えで動いていく自立した人間を目指すことが治療目標の一つとなる。

 拒食とか過食というのは外の世界に現れた姿を述べている訳だが、もっと心の中の内的世界について見て行くとある病的状態の存在に気がつく。私が最も重要だと思うのはPt(患者)の取ろうとする一心同体の状態だ。

 拒食症(AN)では相手の理想通りに動くことで相手と一体になろうとする。また過食症(BN)では相手に自分の理想像を押し付けることで相手と一体になろうとする。つまり『相手に自分を合わせようとする』か『相手を自分に合わせようとする』かの違いだ。

 いずれにしてもPtは他者に埋没しているので自分の姿が見えない状態である。そこには自己が存在しない。自己の存在感が感じられなければ内心穏やかではおれなくなり動揺して行動化や病気の原因になる。結果的に行動化や病気は自らの存在を際立たせることになるのだが。

 治療の大きな目標はPtがその一心同体の状態から抜け出すことにある。しかし理論的に言葉で説明してもほとんど効果はない。治療場面で実際にPtが治療者と一心同体になろうとしたときがチャンスとなる。そして自分の思い通りにならない苦しみをPt自身が味わい耐えることが重要だ。

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