Vol.5 映画(パート2)

 主人公が父親の死に直面して起こった強い恐怖感は分割され、意識の彼方に追いやられた。主人公が医師になり何百人もの患者を看取ったときも自分は死とは無縁のものだった。

 が、最後に看取った患者が息を引き取るとき主人公が気が抜けていくように感じたのは、疲労のため心の中のイヤなものを見ないようにする力が弱くなっていたことを意味する。主人公はそのとき自分の内的世界を垣間見た。

 さらにその頃、主人公は自分の子供を失ったことによって死という現実に直面した。それが決定的になり心の中に残していた父親を亡くしたときの死の恐怖に向き合うことになった。

 以上のようにパニック発作の誘因は頑張り過ぎたことによるストレスと考えられる。主人公の場合、息苦しくなって死にそうな思いをすることは死という問題に目を向けるきっかけとなる。さらに、それが心の中に隠れている問題につながっていくところに病気の意味がある。

 主人公が自分を取り戻していった過程には阿弥陀堂のおうめ婆さんの存在が大きい。主人公にとっておうめ婆さんは母親代わりのようなものだった。そして、田舎の自然も人々も“母なる大地”のようなものでしょう。主人公は心を癒され、心の中に“いい母親像”を形成して行った。

 夫はどう関わったか?夫は山に薪を採りに入ったとき、主人公が見た夢と同じような不気味な光景を目にした。そこで初めて主人公の苦しみを理解する。

 阿弥陀堂はこの世かあの世かの区別がつかないところ。そこでおうめ婆さんは先祖の霊を守っている。おうめ婆さんに心を動かされた夫婦は自宅に仏壇を買って主人公の父親、夫の祖父母、母親の位牌を安置し合掌して霊を慰めた。

 そういうふうに主人公は死者の世界に触れることにより人の死というものを怖がらずに考えられるようになったと思われる。

 おうめ婆さんの話を『阿弥陀堂だより』に載せていた若い女性の病気が再発した。その病状が危機的状況になったとき、治療経験のあった主人公が一緒に治療することになった。また発作が出るのではないかと主人公は不安だったが乗り越えた。

 夫の恩師は自分が末期の病気であることを知っているが毅然して生きている。その姿から主人公は『よりよく生きることはよりよく死ぬことだ』と教えられる。

 その恩師の臨終に主人公が立ち合うが、以前男性を看取ったときのような気が抜ける感じはなかった。

 若い女性の治療と恩師を見送った体験は以前の問題つまり自分が発作をおこした場面に再び直面することである。それを克服したということはワークスルーしたということだ。それが可能だったのも、阿弥陀堂のおうめ婆さんに出会うなど移り住んだ村にその準備が整っていたからである。

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